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時給600円のパートからブックオフ社長になった橋本真由美さんが語る仕事術「まず一歩、外に出てみる。そうして飛び込んだら、思いがけない世界が広がっているはず」 

ブックオフコーポレーション元社長、橋本真由美さん
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 日本はいまだに、先進国の中では女性の社会進出が遅れているといわれる。だが、重責を担いリーダーとなる女性や、男女の差に関係なく働き、お金を稼ぐ女性が確実に増えている。自ら成功をつかみ取った女性たちはどうやって働き、稼いできたのか。ブックオフコーポレーション元社長、橋本真由美さんに話を聞いた。

 専業主婦から大手リサイクルチェーン「ブックオフ」でパートとして働き、社員になり、やがて社長に——2023年から公益財団法人相模原市まち・みどり公社の理事長を務める橋本さんのキャリアは1990年、41才のときにスタートした。

「新しくオープンする、直営1号店のパート募集を見たのが始まりです。当初は9〜17時勤務で、時給は600円でした」(橋本さん・以下同)

18年ぶりに「名前」を呼んでもらえた

 栄養士の資格を持つ橋本さんは、結婚前に正社員で3年間、病院の栄養士として働いていたこともあったが、新たな職場は18年ぶりだったという。

「すぐに仕事に夢中になりました。夫の給与以外にお金が入ってきて、自分名義の通帳を持てたのがうれしかった。何より、“橋本さんの奥さん”でも“○○ちゃんのお母さん”でもなく、名前で呼んでもらえるのが新鮮だったんです。

 仕事にのめり込みすぎて、家事はだんだん手抜きになっていきました。掃除をしなくなり、夕飯がカレーばかりになり、焼き肉用の肉を買って置いておくだけになり、ついには肉も買わなくなり……(笑い)。ブックオフで働き始める前はまじめな主婦で、いま思えば過保護な母親だったのに、家事より、仕事の方が面白くなっちゃったんです」

 熱心な仕事ぶりを見込まれ、1991年に2号店の店長に。だが売り上げは振るわず、閉店の危機に見舞われる。そこで橋本さんは、スタッフとともに一念発起した。

「ブックオフ」1号店のパートから瞬く間に2代目社長に(写真/アフロ)
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「このとき生まれたのが、いまもブックオフの合言葉になっている『DDY』。『ダッシュ』で働き、その日に仕入れた商品はぜんぶ店頭に『出し切り』、元気な挨拶を『山びこ』のように店内に響かせるのです」

 その結果、2号店は見事回復。そうした店舗再生を繰り返すうち、2006年、創業者・坂本孝さんの後任として、直々に社長に抜擢された。

「普通の専業主婦でしたから、経営学なんてわかるはずもないし、MBA(経営学修士)を取っているわけでもない。それでも任せてもらえたのは、絶対に偉ぶらずに人に動いてもらうにはどうしたらいいか、常に考えて働いていたからかもしれません。

 私自身、『上司』『部下』という言葉は嫌いなんです。実際に、ブックオフでは『現場』がいちばん偉い。社長室も役員室もなく、平等に机を並べて働いています。社用車もないから、他社の経営者が集まるようなイベントにも、私は電車で行きました。いまでも、正月は役員が現場に入ります。東大出身のエリート専務だって、寒い屋外で呼び込みをしたり、段ボールを片づけたりするんですよ」

何もできないからこそどんなことでもできる

「働く人」を何よりも大切にし、心を込めて自分も働く。そんな姿勢が、橋本さんをリーダーの座に導いた。

「私、本当に何もできないんです。でも、だからこそ何にも縛られず、予想外のことができました。

 私はダメ、私には無理、もう年だから、資格がないから……とは、絶対に思わないこと。逆に“この資格や経験を生かせることじゃないと”とも思わないでほしい。まずは一歩、外に出てみる。そうして飛び込んだら、思いがけない世界が広がっているはず。家にいる方がラクだけど、何でも顔を出してみたら、何かにつながるかもしれません」

女性セブン20251225日・202611日日号

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