
古今東西、家族関係の悩みはなくならず、とりわけ嫁姑問題は時代が変わってもなお永遠だ。実際の事件を紐解くと、深い憎しみが、一線を越えてしまう悲劇が明らかに──。
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「西鉄久留米駅の東口近くに、犯人に似た女性がいる」
1989年6月18日午後9時過ぎ、福岡県久留米署に匿名の男性から通報が入った。急行した警察官は駅2階の食堂街で、松原良美(仮名・30才)を発見。彼女は義母である陽子さん(仮名・64才)の殺人容疑などで全国に指名手配されていたのだった。良美は当初、別人だと言い張ったが署での取り調べで本人だと認め、逮捕された。
事件が発覚したのは良美が逮捕される2週間ほど前。1か月近く連絡の取れない陽子さんを心配した妹ら親類が、良美と陽子さんが同居する松原家を訪れたのがきっかけだった。
「妹たちが良美に陽子さんの行方を尋ねると、良美は“どこかに行った”とあいまいな返事をしてはぐらかしました。そして、生後11か月の息子と外出したそうです」(全国紙社会部記者・以下同)
家に残された妹たちは、室内から漂う生ゴミを放置したような臭いと、その臭いのする居間の畳に血を拭いたような跡があることを不審に思った。床をめくると、そこにあったのは凄まじい臭いとともにブルーシートで覆われた陽子さんの変わり果てた姿だった。
「陽子さんの遺体は腐敗が進んでいたものの、遺留品と検死解剖から死因は布製のひもで首を絞められたことによる窒息死と判明。福岡県警捜査一課と久留米署は、陽子さんの遺体発見直前に姿を消した良美を殺人と死体遺棄の重要参考人として全国に指名手配しました」
良美夫婦は1985年に結婚。ともに再婚で、先妻の子が2人と、良美の連れ子が1人、それに夫婦の間にできた11か月の息子がいた。事件当時、夫は福岡市内へ単身赴任中で月に2~3度しか帰宅しなかったという。
「近隣住民が“けんかが絶えなかった”と証言するほど嫁姑の関係は悪かった。陽子さんは気が強くて、息子と前妻との離婚の一因にもなったようです。パートをしていた良美は、“ちょっと帰りが遅いだけで姑にいじめられる”と周囲にこぼしていました」
事件が起きたのは5月2日の夜。この日も2人は台所で激しい口論になった。しかし、いつもと違い、ただのけんかで終わらなかった。積もり積もった鬱憤の果て、良美は気づけばひもで陽子さんの首を絞めていた。
「首を絞める前にかなり殴ったようで、死体のあちこちに皮下出血が認められました。深い恨みが招いた犯行だと注目されました」
殺害後、1か月もの間、陽子さんの遺体を隠した居間で食事をし、子供たちと生活を送っていた良美。遺体が発見される前にわが子と消えた良美はその翌日、自宅から40km離れた夫の職場に子を置き去り、再び身を潜めたが約2週間後に逮捕されたのだった。
なぜ、良美は地元に帰って来たのか。家族に会いたかったのか、それとも逃げ切れないと思い、早く見つけてほしかったのか──。
※年齢は事件当時。
※女性セブン2026年1月29日号