
1970年代にフォーク界を席巻し、数々の伝説を残して’22年に“引退”したカリスマ、吉田拓郎(79才)が再び動き出した。彼はなぜいま「もう一度歌う」ことを選んだのか。知られざる復活の真相に迫った。
《本当に「たった2ヶ所ですがスペシャルLive」をやる事になりました》
2022年6月にリリースしたアルバムをもって、アーティスト活動にピリオドを打ったはずの吉田拓郎が、コンサート会社のホームページで連載するエッセイに、“復活ライブ”の開催をそう綴ったのは1月16日のこと。ファンは歓喜したが、なぜ吉田は引退を撤回したのか。その決断に至るまでには妻・森下愛子(67才)の存在が大きく影響していた──。
「2022年の引退宣言は、理想とするパフォーマンスから遠のいたことが要因の1つでした。特にこだわりを持っていたシャウトが、2019年頃からできなくなっていたんです。アーティスト活動に区切りをつけたことについて、吉田さんのファンは寂しさを感じながらも、その半生を振り返れば当然だろうと納得する人も少なくありませんでした」(音楽関係者)
吉田は長きにわたり病と闘い続けてきた。
2003年に肺がんが見つかり、肺の3分の1を切除。2007年に心身の不調を《更年期障害、ストレス、うつ病への入り口》と当時のブログで告白し、2009年には慢性気管支炎に見舞われた。そして2014年、新たにのどにがんが見つかった。

その間、吉田を支え続けたのが、1986年に再々婚した森下だった。
「肺がんの闘病時、森下さんは病院に泊まり込んで拓郎さんを看病し、退院後も自宅での歩行訓練などのリハビリをサポートしました。のどのがんが判明して“もう歌えなくなる”と悲観する拓郎さんを“必ず治るから”と励まし続けた。食事面ではのどの痛みで飲み込むことが大変だからと、食材を細かくして調理するなど、毎食、工夫を凝らしていました」(森下の知人)
吉田は、2009年に開催したツアーのパンフレットで肺がん手術に触れ、《手術は成功したけれど それは妻と二人で闘った月日だった》と振り返り、前述した2022年6月リリースのアルバムのライナーノーツには、《最終章を支えてくれた佳代という女性に出逢えていなかったら それこそ実は失敗だらけの東京での半生という事になっていただろう》と感謝を記していた。
《佳代》とは、森下の本名だ。
女優として活躍していた森下は、吉田の闘病を機に仕事をセーブ。2017年のドラマ『監獄のお姫さま』(TBS系)への出演を最後に表舞台から遠ざかり、吉田が’21年のラジオで「1年前からドラマの世界からリタイアしている」と森下の女優引退を明かした。
吉田にとっては内助の功に尽きる晩年だった。
現在、夫婦が暮らすのは、都内の閑静な住宅街に建つ低層マンション。ベランダには四季が感じられるさまざまな植物が植えられ、室内から外を眺めることが夫婦の楽しみになっているという。