
「父」という後ろ盾がない中、歌舞伎の世界へ飛び込んだ獅童さん。母と二人三脚で逆境を乗り越え、自らの道を切り開いてきた半生を語った前編。後編では俳優人生の転機となった映画『ピンポン』の秘話や、大病を乗り越えた経験、そしていま思う家族の在り方についても語ってもらいます。
「歌舞伎には自分の好きなことがすべて集約されている」
アンミカ:前編では、お父さまという後ろ盾がない中で歌舞伎界を生きる苦悩をうかがいましたが、獅童さんは映画やドラマにも多数出演されていて、俳優という印象を持たれているかたも多いと思います。そちらの下積みも長かったんですか?
獅童:長かったですね。新聞広告でオーディションの情報が載っていたら片っ端から受けまくって、全部落ちる日々。これがラストチャンスかなと思って受けたのが、映画『ピンポン』(2002年)のオーディションです。29才のときでした。
アンミカ:それはオーディションにも相当力が入ったでしょうね。
獅童:ドラゴンという頭をそり上げた個性的な役を演じて皆さんに知られるようになりました。一夜にして景色が変わるとは、このことかと。
アンミカ:人生の転換点ですね。
獅童:オーディションは、まさにドラゴンのビジュアルで挑んだの。両親はオーディションのことを知らなかったから、つるっぱげで眉毛もなくなって帰ってきた息子を見て、「苦労しすぎておかしくなっちゃったの!?」と唖然としてました(笑い)。
アンミカ:あははは。でも『ピンポン』の出演を機に運命が動き始めて…一夜にして変わった景色はどうでした?
獅童:それまで見向きもしなかった人たちから次々とオファーが来るようになって。そりゃ有頂天でしたよ。日本アカデミー賞などで新人賞までいただいて。でもその日の夜、みなさんと乾杯したとき、「この喜びは今日で忘れよう」って自分に誓いました。
アンミカ:冷静すぎる!
獅童:そうしないと先がないと思って。あまりにも個性的な役だったから、次に求められるのも個性的な方向に偏っていく。その中で、どのタイミングで何を仕掛けるか考えないと飽きられる、という焦りがあったんですよ。
アンミカ:長い下積み時代があると、急な変化にはしゃいじゃう人もいるでしょうけど、獅童さんは地に足がついてたんですね。
獅童:はしゃいでもいましたよ。でもはしゃぎ方を考えた。一時期、スパイダーマンスーツを着て映画の宣伝をやったのも、ぼくからの発案で始めたんです。
アンミカ:スパイダーマンの印象は本当に強い!
獅童:格好つけるだけの役者じゃなくて、人々を楽しませる芸人としての立ち居振る舞いをすごく考えていましたね。
アンミカ:その結果、仕事も舞い込んでくるようになったわけですね。
獅童:急だけど、アンミカさんって言霊信じる?
アンミカ:めっちゃ信じます!
獅童 若い人に最近「自分の思いは言葉にした方がいいよ」ってよく話しているんです。
アンミカ:すごく共感します。
獅童:数年前に是枝(裕和)さんの『怪物』と(北野)武さんの『首』という映画に立て続けに出させてもらったんですけど、お二人の映画に出ることが、長いこと思い続けていた夢だったんです。
アンミカ:一気に夢が叶ったんですね。
獅童:嘘みたいな本当の話なんだけど、コロナ禍のときに今後の仕事の方針について妻と自宅で話していて、『若いときから是枝さんと武さんの映画にずっと出たいと思っているから、オーディションがあったらどんな役でもいいから挑む』って気持ちを伝えたら、その次の日に北野組のスタッフさんから『首』のオファーの電話が来たんです。
アンミカ:言霊の力が強すぎる!
獅童:二つ返事でOKしましたよ。そしたら、さらに嘘みたいな話なんですが、その翌週、『怪物』に出ることが決まりまして。この人と仕事がしたいと言葉に出したら、本当に叶ったんです。
アンミカ:“運”は“運ぶ”と書くように、自分の努力で運んだり、誰かが運んできてくださるもの。だから、運がいい人は偶然ではなくて、ちゃんと言葉に出して動いている人だと思うんです。
獅童:何事も諦めずに、思いを強く持って言葉に出し続けることが大事だよね。

壮絶な人生がまるでジェットコースター
アンミカ:獅童さんといえば、ファッションもキーワードですよね。
獅童:アンミカさんほどではないですけど、好きですね。
アンミカ:獅童さんの自由な発想はファッション業界でも注目されていて、実際にファッションのお仕事も数多くされています。
獅童:基本の型を学んで、それを破っていく過程が面白いんです。(中村)勘三郎兄さんもよく言っていた言葉ですが、「形が崩れちゃう“形なし”と、型を破っていくのは違う」。これはファッションにも通じるものだと思っています。
アンミカ:歌舞伎を見に行かせていただくと、ファッションの観点からもすごく楽しいなと思っていて。この色やこの柄を合わせて美しいってすごい、とか。
獅童:その視点はすごくうれしいね。着物ってどんな洋服よりもパンクだと思うんだよね。花魁の衣装とかもね。
アンミカ:確かに、大胆だけどまとまりがあって、きらびやかだけど下品じゃなくて。
獅童:実際に江戸時代には歌舞伎はファッションショーの役割もあったんですよ。歌舞伎の舞台や浮世絵に触れて「あの着物いいよね」となっていたわけです。
アンミカ:なるほど。メイクにしても白塗りに赤い隈取って、かなり攻めてますもんね。
獅童:そう! 血管が浮き出るところを誇張して生み出されたのが隈取なんだけど、「おれを見ろ!」という強い意志を感じる迫力があるよね。
アンミカ:獅童さん、いつもパワーを感じるけど、歌舞伎の話になると10倍増しにアツい!
獅童:いろいろなことに興味がありますけど、やっぱり行き着く場所は歌舞伎なんですよ。若い頃、ファッションやロックに夢中になっていたときは、もしかして歌舞伎があまり好きじゃないのかなって思ったりしました。でも、歌舞伎には自分の好きなことがすべて集約されているんだとわかったときに、歌舞伎ってかっこいいなと思い直して。
アンミカ:自分の道を切り開く人は、ちゃんと大事なときに立ち止まれる人でもあるんですね。もしかして、そう思い直したのにも勘三郎さんが一役買っていたり?
獅童:そうだね、人と違う自分を常に厳しく、そして優しく認めてくれていた。だから、2012年の勘三郎兄さんとの早すぎる別れはつらかったですね。その翌年におふくろもヒートショックが原因で突然亡くなって。
アンミカ:大切なかたとの別れが続いたんですね…。
獅童:ジェットコースターみたいだよね。2015年に、いまの奥さんと結婚するんだけど、そうしたらすぐに脳動脈瘤から出血して手術を受けることに。その2年後の2017年、妊娠を知って喜んでいたらその3日後に肺腺がんの告知をされました。こんなにも短期間に山場が襲ってくる人生はめったにないから、ラッキーだと思うようにしましたよ(笑い)。
アンミカ:神様は乗り越えられる人にしか試練を与えないといいますが…。
獅童:肺腺がんの告知のときなんて、それまでにいろんなことがありすぎたから、「え?」という戸惑いはあったけど、死ぬ気にもならなくて。でも、舞台に立ってお客様の姿が目に入ったときに「あ、舞台から見るこの光景も最後になるのかな」とは思いました。
アンミカ:療養中は長期間の休演をなさってましたよね。やっぱり奥さまの存在が、いくつもの壁を乗り越える大きな支えになりましたか?
獅童:支えどころか、彼女が居なかったら、肺腺がんの治療も間に合わずに死んでいたかもしれないんです。最初の診断で「肺に影があるが、これくらいは心配ない」と言われたけど妻がセカンドオピニオンをすすめてくれて、そしたらがんが見つかって。少し発見が遅かったら危なかったみたいです。脳動脈瘤で手術した際も、彼女の助言で脳の定期検診をしていたことで命拾いしました。
アンミカ:パートナーが運命を導いてくれることって本当にありますよね。奥さまとの出会いはすごいギフト。

すべて背負って生きている
獅童:妻の存在は大きいですね。おふくろが亡くなったときも、妻が見つけてくれたんだよね。「お母さまが、お母さまが!」って2階に居たぼくのところに駆け上がってきて。あれがドラマなら、ぼくが「おふくろ!!」って泣いたんだろうけどさ、まだ息が戻るだろうと思ってるから浴室にいるおふくろを外に出して「おい、起きろよ!」って泣く暇もなく言ってました。救急のかたたちが来てくれて「亡くなっています」と言われても涙が出なくてさ。
アンミカ:突然すぎると、現実を受け入れるのに時間がかかりますよね。
獅童:その日は歌舞伎座公演に出ないといけなかったし、公演から帰ったら葬式の段取りとかね。そういうのも妻が支えてくれましたよ。妻がおふくろの料理が大好きでね。結婚前から、会社に持っていく妻の弁当をおふくろが作ってたくらいだったんです。
アンミカ:かわいがってくれていたんですね。
獅童:お互いに思い合ってくれていましたね。妻は特におふくろの作ったビーフシチューが大好物だったんです。泣く暇もない日々だったんだけど、おふくろが使っていた冷凍室を見たらビーフシチューがいっぱい入っていて。いろんなことが落ち着いて、ビーフシチューを解凍して食べたときに初めてふたりで大号泣しましたね。人間ってこういうときに泣くんだなって。
アンミカ:そういうときに同じ感情になれて、一緒に泣いてくれる人が隣にいるのは幸せなことですね。私も早くに両親を亡くしているので、両親がいちばん近いご先祖さまになるというか、どんな困難に直面しても、「両親が試練を与えてくれているんだ」という信頼感のようなものが芽生えた気がします。
獅童:本当にそうだと思います。ジェットコースターのような人生だけど、50才すぎて、無駄なことはなにもなかったと気づかされますね。
アンミカ:いろんな経験をした獅童さんだからこその気づきですね。
獅童:あともう一つね、過去をなかったことにできるほど人生は甘くないし、失敗したことは一生背負っていかないといけない。過去には多くのかたがたに迷惑をかけたこともあったし、それらすべてを背負って生きています。
アンミカ:過去といまは切り離せないものです。
獅童:うん。もしかしたら、生きていることって、つらいことと向き合う時間の方が多いかもしれない。だからこそ、ポジティブに乗り越えることが必要なんだろうね。自分に、子供に、恥じない生き方をしたいと思いますよ。
アンミカ:この先60代でも、70代でも、“いまの私が最高!”と胸を張れる自分でありたいな。
獅童:同級生にこういうふうに語り合える仲間が居てくれて頼もしいよ。この先もずっと、「あの頃に戻りたいね」って言わない人生を送っていこうね。
中村獅童さんのHLLSPD
中村獅童さんに、Happy、Lucky、Love、Smile、Peace、Dreamについて答えてもらいました。今回はSmile、Peace、Dreamについて直撃!
Smile:あなたを笑顔にする宝物は?
家族。
Peace:心が穏やかになる趣味や場所は?
家族でプロレス観戦、キャンピングカーでの旅行。
Dream:これからの目標は?
伝統を守りつつ革新を追求する。中村獅童らしい生き方を求め、挑戦し続けます。
◆モデル・俳優・アンミカ
アン ミカ/1972年生まれ。1993年パリコレ初参加。モデル業以外にもテレビ・ラジオMC、俳優、歌手、テレビCM出演と多彩に活躍。「日本化粧品検定1級」など20個以上の資格を生かし、化粧品、洋服、ジュエリーなどをプロデュース。
◆中村獅童
なかむら しどう。1972年生まれ。8才で二代目中村獅童を名乗り初舞台。歌舞伎のほか、映画『ピンポン』で日本アカデミー賞新人俳優賞受賞。以降、映画、ドラマ、現代劇と幅広く活躍。6月3~25日、歌舞伎座で上演される『六月大歌舞伎』に親子で出演。
構成:渡部美也 衣装:トップス/チェルキ スカート/リビアナコンティ ピアス、ベルト/ともにアビステ(アンミカさん)
※女性セブン2026年5月21・28日号