
古今東西、家族関係の悩みはなくならず、とりわけ嫁姑問題は時代が変わってもなお永遠だ。実際の事件を紐解くと、深い憎しみが、一線を越えてしまう悲劇が明らかに──。
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「母親が“息子のところに2、3日遊びに行ってくる”と言ったきり、行方がわからなくなった」
東京都西多摩郡に住む川島サト子さん(仮名・83才)の捜索願が警察に出されたのは1998年4月23日のことだった。捜索願を出したのはサト子さんと同居していた三男の正英さん(仮名・54才)と、その妻・幸子(仮名・40才)。サト子さんには10人の子供がいたが、外出してから3日経っても帰宅しないどころか、どの親類宅にも姿を見せていなかったという。
「正英さんらから捜索願が出された一方、不審に思ったサト子さんの親類が警察にサト子さんの預金を調べてほしいと訴えたのです。それを受け、警察は預金の流れを捜査しました」(全国紙社会部記者・以下同)
大きく事態が動いたのは翌年9月のこと。それまでも警察の取り調べに応じていた幸子だったが、あいまいな供述やサト子さんの預金の不審な流れを追及され、義母の殺害を認めたのだった。
義母の預金を無断で引き出していた
幸子の供述によると、事件は4月17日に起きた。その日の朝、サト子さんが郵便局に向かおうと玄関で支度をしていたところ、幸子は背後から襲い、十数回にわたり、消化器で頭や顔をメッタ打ちにしたという。
幸子は事切れたサト子さんをひもで縛り、ビニールシートに包んで、自宅の物置に放置。翌日の午前、家族が出払った機会を狙い、自宅の敷地内でサト子さんの遺体に廃材やおがくずをかぶせ、石油を混ぜて2日間かけて燃やした。灰は近くの川に流し、燃え残った遺骨は普通ゴミに混ぜて捨てたという。殺害からおよそ1週間後、何食わぬ顔で警察にサト子さんの捜索願を提出したのだった。
幸子はなぜサト子さんに手をかけたのか―その原因はサト子さんが大事にしていた老後資金を巡る金銭トラブルにあった。
「幸子夫婦は3人の子供とサト子さんの6人で暮らしていました。しかし、夫の収入だけでは生活資金が充分ではなかったようで、サト子さんの預金に無断で手をつけたのです。幸子が初めて預金を引き出したのは1994年12月。すぐに気づかれ叱責されましたが“手ぐせ”は直らず、1年半後の1996年6月にもサト子さんの預金を無断で引き出しました。今度は気づかれることなく、それらは借金の返済や生活費に充てられたそうです」
そして1998年、事件前夜、幸子はサト子さんがかばんに預金通帳を入れているところを目撃。お金を引き出したことがバレて、今度は叱責どころか夫や子供と引き離されてしまうかもしれない── 一晩悩みぬいた末、幸子はサト子さんを殺害する選択をしたのだった。
殺人と死体損壊で起訴された公判で、裁判長は「確定的殺意に基づく執拗で残虐な犯行だが、被告や家族は特に贅沢な暮らしをしていたわけではなく、長年にわたり義母の世話をしてきた。終生被害者の冥福を祈ってあげなさい」と幸子を諭し、懲役14年の判決を下した。
※年齢は事件当時。
※女性セブン2026年5月21・28日号