
華やかな芸能一家として、これまで幾度も世間を賑わせてきた高島ファミリー。その中心でいつも明るい笑顔を見せていた寿美花代さんが、この世を去った。女優として活躍し、晩年は夫の老老介護と波瀾万丈の生涯だったが、最期まで気にかけていたのはやはり愛する息子たちで──。
高島ファミリーの光と影
東京・世田谷区の高級住宅地に建つ豪邸。外壁は色褪せ、昼間でも窓のシャッターは閉めたまま。かつて一家の笑い声で賑やかだった邸内は、主を失い静まり返っている。
ここは2019年6月に逝去した高島忠夫さん(享年88)が建てた豪邸だ。最期までこの家で過ごした忠夫さんに続いて、8月3日に妻で女優の寿美花代さん(享年94)もこの世を去った。
「寿美さんは年々体力が低下し、息子の政宏さん(60才)の考えで3年ほど前に施設に入られました。亡くなる直前には思うように嚥下ができず苦しみ、見ていてつらくなるような様子のときもあったといいます。政宏さんは最期の瞬間に間に合わなかったそうですが、弟の政伸さん(59才)とお孫さんに見守られ、安らかな表情で旅立ちました」(芸能関係者)
寿美さんが家族葬で見送られたのは、8月6日の午前中。正午に所属事務所が逝去を公表したことで、多くの人が知ることとなった。
「ご遺族としては『葬儀が終わるまで公表はしたくない』という思いだったそうです。本当に親族だけで静かに送りたい、と。高島家といえばこれまでさまざまな話題で注目を集めてきましたから、騒がれるのを嫌ったのかもしれません」(前出・芸能関係者)
一時は華やかな芸能一家として、世の憧れの的となった「高島ファミリー」。だがそのまばゆいばかりの活躍の裏には、それだけ濃い影が落ちてもいて──。
兵庫県西宮市出身の寿美さんは宝塚歌劇団の星組トップスターとして活躍し、1963年に「歌う映画スター」として人気を博していた忠夫さんと結婚した。

「テレビ番組で共演した忠夫さんに惚れ込んだ寿美さんは、猛アプローチの末にゴールイン。しかし新婚翌年、生後5か月の長男が高島家の家政婦によって殺害される事件が発生し、夫婦は深い心の傷を負いました。それでも1965年に政宏さん、1966年に政伸さんが生まれて、一家は新たな道を歩み始めたのです」(前出・芸能関係者)
その後、政宏と政伸は俳優としてドラマや映画で活躍。忠夫さんと寿美さんも料理番組『ごちそうさま』の司会を約26年間にわたり務めるなど、芸能界きってのおしどり夫婦として知られるように。一家4人でテレビ出演することも多く、高島ファミリーは理想の家族としてお茶の間に定着した。
しかし1998年、忠夫さんがうつ病を患うと、幸せな生活は一変する。
「いつも元気だった忠夫さんが急に無気力になって体がやせ細り、表情も極端に乏しくなりました。芸能活動を休止して自宅療養を始めても症状は悪化するばかりで、家族の心労は募る一方。特に寿美さんは忠夫さんが自ら命を絶ってしまうことを恐れ、一時は自身もうつ病のようになったといいます」(高島家の知人)
忠夫さんは2003年に芸能界に一時復帰を果たしたものの、パーキンソン病や不整脈を患い、心臓にペースメーカーを取り付ける手術も経験。2013年に放送されたドキュメンタリー番組では、病と闘うありのままの痛々しい姿が報じられて世間に衝撃を与えたが、夫のつらく長い闘病生活を寿美さんは献身的に支え続けた。
「80才を過ぎてから忠夫さんは足元がおぼつかなくなり、入退院を繰り返しました。周囲は介護施設への入居を勧めましたが、寿美さんは『私が自分で面倒を見たいの』と譲らず、ホームヘルパーの力を借りて自宅での老老介護に励んだのです」(前出・高島家の知人)