
跡地や遺跡が多い、今回の世界遺産。当時の歴史を知ってから行くと、殺風景に見えた景色も見方が変わり、格段におもしろさがアップ! 聖徳太子など、日本史に登場するスターが多い時代、彼らの意外な一面に、より親しみが湧くこと間違いなし!
都は引越し型から定着型へ
飛鳥時代初頭にあった飛鳥の都は、山々に囲まれた盆地にあり、周囲から身を守る要塞のようだった。一方、飛鳥時代末、694年に遷都された藤原宮は広大な原っぱの真ん中に造られた。
「狭い盆地から広い原っぱへ移ったのはなぜか? これは天皇の権力が強くなり、確固とした地位を築いた証なのかもしれません。広い土地に官僚を集めるなど、天皇を中心とする中央集権国家の原型ができたんですね」(本郷さん、以下同)
マウントとりすぎ聖徳太子!
推古天皇とともに政治に仏教を取り入れ、「冠位十二階の制度」や「十七条の憲法」を考案したスーパースター聖徳太子。でも実は…。
「607年、隋に小野妹子(おののいもこ)ら遣隋使を送る際に、“日出づる処の天子、書を日没する処の天子にいたす”という超上から目線の手紙を送っています。この物言いに隋の皇帝はブチ切れ! 大国に負けぬようマウントをとる策略だったのか…」
兄弟で同じ女性に恋?!
645年に乙巳の変を起こした中大兄皇子は、天智天皇として即位。「大化の改新を行ったすごい人ですが、実は…弟の大海人(おおあまの)皇子(後の天武天皇)の妻・額田王(ぬかたのおおきみ)に惚れ込み、略奪! 別れてもお互いを想い続けた大海人皇子と額田王の愛の短歌は万葉集に刻まれ、今の世にも伝わることに…。時代を変えた強い男も、恋の衝動は抑えきれなかったようですね(笑い)」
飛鳥宮跡
宮跡が織り重なる「乙巳の変」の舞台

ここでは、複数の宮殿が重なって発掘されている。それまでは天皇の代替わりごとに場所を変えていたが、飛鳥岡本宮(おかもとのみや)(舒明[じょめい]天皇の宮殿)以降、宮殿が1か所に定着してきたのがわかる。「中大兄皇子らが蘇我入鹿を討った場でもあり、昔は“虫殺し(645年)、大化の改新”と覚えましたが、今は“乙巳の変”と言います」
藤原宮跡
盆地から広大な地へ、唐を模した巨大な都が完成!

694年に持統天皇が天武天皇の遺志を継いで創都。約5km四方の藤原京が広がり、唐を参考に大規模な都市造りが行われた。わずか16年で遷都されるが、後の平城京、平安京の原型となっている。

飛鳥京跡苑池
巧みな土木技術が光る優美な日本庭園

飛鳥宮に付属して造られた庭園跡。7世紀中頃、斉明天皇の時代に造られ、噴水施設や巨大な石槽など、芸術性の高い石造物が置かれていた。日本庭園の元祖!
◆教えてくれた人:歴史学者・本郷和人さん

日本中世史研究の第一人者。元東京大学史料編纂所教授。監修に『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』(ダイヤモンド社)など。
イラスト/沼田光太郎 撮影/深澤慎平 取材・文/岸 綾香
※女性セブン2026年9月17日号