
天皇皇后両陛下が新年のあいさつを受けられる「新年祝賀の儀」が2024年1月1日行われ、皇后雅子さまら女性皇族たちが4年ぶりにティアラを着用されことが注目を集めました。
コロナ禍の状況を鑑み、両陛下の意向でティアラ着用は控えられていましたが、この日はまっ白なドレス姿の女性皇族たちが華やかな姿を見せられました。両陛下の長女・愛子さまは、2021年の成年の儀式でも身につけられた陛下の妹・黒田清子さんから借りたティアラを着用。ローブ・デコルテもお召しになり可憐な姿を見せられました。
陛下は、「新しい年を共に祝うことを誠にうれしく思います。年頭に当たり、国民の幸せと国の発展を祈ります」などと述べられました。
一方、1月2日の新年一般参賀は能登半島で起きた地震を受け、中止になりました。両陛下は現地の状況に深く心を痛められているということです。


女性皇族がたはこれまでどのようなティアラ姿を魅せられてきたのでしょうか。エピソードとともに振り返ります。
雅子さまから紀子さまへ受け継がれた「皇太子妃の第一ティアラ」
1993年、天皇皇后両陛下(当時は皇太子ご夫妻)のご成婚パレードで雅子さまが着用されていたのは「皇太子妃の第一ティアラ」、「皇太子妃のティアラ」と呼ばれるもので、美智子さまから受け継がれたものです。
1959年に美智子さまが成婚される際、香淳皇后が皇太子妃として使われていたティアラのダイヤモンドを生かし、ティアラをリフォームしました。ミキモト(当時は御木本真珠店)の田居克己さんがデザインをしたティアラは唐草模様が特徴的で、1000個ものダイヤモンドがあしらわれているそうです。




現在は紀子さまの元へと受け継がれています。紀子さまは2020年11月8日の「立皇嗣の礼」が皇居で行われた際にお召しになっていました。





明治時代から代々受け継がれた「皇后の第一ティアラ」
2019年11月、天皇陛下の即位を祝うパレード「祝賀御列の儀」で「皇后の第一ティアラ」と呼ばれるものを着用された雅子さま。「皇后の第一ティアラ」は1886年、ドイツにドレスとティアラ、ネックレスなどの装飾品を発注し、明治時代の皇后、昭憲皇太后のために作られたものといわれています。当時の新聞ではブリリアントカットのダイヤモンドが60個、使用されていると報じられたそうです。その後、代々の皇后が身につけ、美智子さまから雅子さまへ受け継がれました。
宮内庁の内部資料に「皇后陛下御正装の装身具類」として「冠(ダイヤ)A型」「冠(菊型)B型」と記載されています。雅子さまが受け継がれた第一ティアラは「A型」、「B型」は美智子さまがおつけになる菊の花をモチーフにしたティアラとされています。










中央のダイヤは21カラットで、ティアラの先端に9つの星が輝くようなデザイン。星の飾りは取り外すことができます。美智子さまも、雅子さまも外した状態でつけられていました。

眞子さんと佳子さまは新調されたティアラを
女性皇族のティアラは、歴史あるもの以外に新調されるものもあります。小室眞子さんが成人した際に作られたティアラは銀座・和光が制作したもので、ティアラを含めた宝飾品一式で約2856万円でした。公費で作られたティアラは皇室を離れる際には国に返すことになっているため、現在は返却され、宮内庁で保管されているそうです。




また2014年に制作された佳子さまのティアラは、宝飾品一式で約2793万円。業者を一般から公募し、適格とされた5社から、黒田清子さんのティアラなどを製作した実績があるミキモトが選ばれました。




愛子さまは黒田清子さんのティアラを
愛子さまは両陛下と相談され、コロナ禍の国民生活への影響を考慮し、ティアラを新調せず、天皇陛下の妹・黒田清子さんのティアラを借りました。上皇ご夫妻の私費で作られたため、2005年に結婚された後も清子さんが所有していました。




今年の8月、物価高の中での国民感情と両陛下のお気持ちを考慮し、来年度の概算要求にティアラの制作費が入れられなかったことを宮内庁が明らかにしました。国民に寄り添われる天皇ご一家のご決断に称賛の声が広がりました。


第一ティアラと呼ばれるもの以外にも、第二、第三とさまざまな種類のティアラがあり、そのなかには雅子さまが未だ、つけられたことのないものもあります。困難な時代を乗り越えたこともあり、2024年の1月1日にやっと解禁されたティアラ姿に大きな注目を集めました。
また、愛子さまは2023年12月1日に22歳になられたばかり。近年は特に仲睦まじいご一家の様子が注目を集めていますが、雅子さまとの親子の絆がうかがえるエピソードについても振り返ります。
会見で「生まれてきてありがとう」
天皇陛下(当時は皇太子)と雅子さまが結婚された約8年後、2001年12月1日に愛子さまが誕生され、12月8日に皇居内にある宮内庁病院を退院されました。

翌年の2002年4月2日に開かれた会見で、雅子さまのご懐妊、ご出産について問われた天皇陛下が、お気持ちを明かされました。
「まず始めに、子供の誕生に当たって多くの方々から温かく祝っていただいたことに対して、心からお礼を申し上げたいと思います。また、子供を連れてきてくれたコウノトリにもあわせて感謝をしたいと思います」

そしてこう続けられました。
「地球上に人類が誕生してからこの方、絶えることもなく受け継がれているこの命の営みの流れの中に、今私たちが入ったということ、そういうことに新たな感動を覚えました」
雅子さまは涙ぐまれたご様子で同じ質問に答えられました。




「無事に出産できましたときには、ほっといたしますと同時に初めて私の胸元に連れてこられる生まれたての子供の姿を見て、本当に生まれてきてありがとうという気持ちで一杯になりました。今でもその光景は、はっきりと目に焼き付いております」
不登校の時期に付き添い登校を続けられた雅子さま
2006年、学習院幼稚園にご入園、2008年には学習院初等科に入学された愛子さま。






初等科2年生のとき、学校生活に強い不安を訴えられ、登校ができなくなった際、適応障害で療養中の雅子さまが愛子さまの登校に付き添われていました。
この件について、2011年2月21日に開かれた会見で、天皇陛下は以下のように述べられました。
「この1年近く、親として愛子のために何をしてあげられるのかという思いで、雅子と共に考え、歩んできました。愛子は学校で怖い思いや、つらい体験をしましたが、それを乗り越えようと、前向きに頑張ってきており、私たち親としても、精一杯支えてあげたいと思ってここまできております」






さらにこう述べられました。
「愛子の通学への付添いを含めて、愛子が元どおりの通学に戻るために母親として可能な限りの努力を払ってきているのが現状であり、私自身傍そばで見ていて、大変だと思いますし、雅子自身の体調が万全でない中で、毎日本当によく頑張っていると思います」







雅子さまが学校に残られ、授業や校庭で遊ばれる姿を見守られていたことに、世間からは「プライベート優先」など厳しい声がありましたが、付き添いを続けられました。雅子さまの支えもあり、2011年の秋頃にはお一人で通学されるようになりました。
中等科に進学された後も、再び体調不良で長期欠席されたり、急激におやせになるなど、周囲が心配するような状態でしたが、高等科の2年生になられた頃にはふっくらされた姿に戻られていました。







両陛下への感謝の気持ち
2021年12月1日に20歳の誕生日を迎え、成年皇族となられた愛子さま。当時、ご感想が公開されました。
「天皇皇后両陛下には、これまで愛情深く大切に育ててくださり、どのようなときも一番近くで支えてくださいました。これからは成年皇族の一員として、一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたいと考えております」

また、翌年の3月17日に成年皇族として初めての記者会見が開かれた際に両陛下にお伝えになりたいお言葉を述べられました。
「両親は私がどのような状況にありましてもいつも私の気持ちに寄り添ってくれて、また、何か問題に直面した時は、その問題に真剣に向き合ってくれまして、私の意見や考え、気持ちを尊重しつつ、的確なアドバイスをくれたように思います。そして両親からもらった大きな愛情や励ましが、そのような時に私の支えとなっておりました。
また、両親にどのような言葉を伝えたいかという御質問でございますけれども、母の『生まれてきてくれてありがとう』という言葉に掛けて、私も『生んでくれてありがとう』と伝えたいと思います」





20歳のお誕生日には成年皇族としての誓いを綴られ、成年会見では20年前の雅子さまの「生まれてきてありがとう」というお言葉に対し、「生んでくれてありがとう」と答えられた愛子さま。そのお言葉から、愛子さまのご成長と、両陛下との絆をうかがうことができました。