
15歳で芸能界デビューし、明るい笑顔で魅了した元トップアイドルの立花理佐さん(52歳)が昨年、直腸がんを治療していたことを公表した。手術時の体験や、それを経て深まった家族仲について話を聞いた。
13時間に及ぶ大手術。目が覚めると体が拘束されていた
2020年5月に直腸がんだと診断され、同年10月に手術を受けることになった立花さん。覚悟をしていたつもりでも、恐怖は拭い切れなかった。
「手術をするまではどうしても実感がわかなくて、人ごとのように感じることもあったのですが、先生から説明を受けるほど怖くなって泣いてしまうこともありました」
入院日は、立花さんの誕生日の翌日だった。
「食事制限がなかったので、最後の晩餐じゃないですけど、誕生日にはお酒もケーキも、好きなものは全部食べました。入院する当日の朝も食事をしていいと言われたのですが、食べようとしても不安と緊張で体が受けつけませんでした」

入院し翌日に手術を控えた夜、立花さんはなかなか寝つけなかったと振り返る。
「睡眠薬をのんでも胸がざわざわして、気持ち悪くて眠れませんでした。落ち着かないので病棟の廊下を歩いていたら、夜勤の看護師さんが気づいてくれて、背中を優しくさすってくれた時、涙が溢れちゃって。それで少し眠ることができました」

女性特有の喪失感も
手術はダ・ヴィンチ(腹腔鏡下手術ロボット)によるもので、放射線や抗がん剤を経て小さくなったがんとともに、腸、子宮、卵巣などを摘出した。
「朝8時くらいに歩いて手術室まで行って、目が覚めたら真っ暗なICU(集中治療室)にいました。13時間にも及ぶ大手術だったんです。酸素マスクを装着され、手足は縛られていました。もちろん、麻酔から覚めると錯乱する可能性があるので拘束すると、事前に説明がありました。
腹部に小さな穴を4つあける腹腔鏡の手術ですから、表面上の傷はそれほどありません。けれど激痛でした。手術後は強い鎮痛剤を患部に投入できたのですが、“この世にこんなに痛いことがあるんだ”と思うほどの痛みが和らぐことはありませんでした。自力では寝返りすら打てないので、ナースコールで看護師さんに来てもらったのですが、本当に申し訳なかったです」
子宮を失うという、女性特有の喪失感もあった。
「半ばあきらめていたんですけど、どこかでもう1人子供が欲しいという気持ちもあって、その望みが完全に奪われてしまった。その悲しみや傷の痛み、孤独感などがない交ぜになって、入院中は毎日のように泣いていました」

つらい経験を経て、家族の絆が深まった
コロナ禍での入院のため、家族でさえ面会することは叶わなかった。そんな淋しい入院中でも、嬉しいこともあった。
「大変だから来なくていいよと言っているのに、旦那さんが毎日、お見舞いを持って来てくれたんです。コロナ禍だったので、直接お見舞いを受け取ることはできません。でも、手術をして2日目くらいかな、ICUから部屋を移動するとき、看護師さんが気を使って、ガラス越しに旦那さんの顔が見えるタイミングを作ってくれました。お互い笑顔で手を振ったりして(笑い)」
食事も立って済ませた
1か月後に退院したものの、傷の痛みは続いていた。座る姿勢がつらく、立つか横になるかの生活が続き、食事も立って済ますことが多かった。
「家族はすごくよくしてくれました。痛くて座れないと言うと、旦那さんは低反発のクッションを何種類も買ってきてくれたり、家事も全てしてくれるようになりました。でも実は、私は長く座っていられないので、立って動いているほうが気が紛れるんです。なのに家事をやらせてもらえない。“いつになったらやらせてもらえるんだろう”ってこぼしたら、横で息子(高校生)が笑っていました(笑い)。

息子は私ががんになってからも普段通りの態度で、そこにも救われました。笑えるテレビ番組をすすめてくれて、食事の時間に家族で新喜劇などを見て過ごしました。笑っている時間は不安を忘れることができました。
食べるのがつらい時があって一口でやめたら、息子に“もう食べないの?”って聞かれて、息子に心配させちゃダメだと思って頑張って食べました。同じことを旦那さんに言われても、甘えて食べなかったかもしれません(笑い)。家族には本当に助けられました」
◆歌手・女優・タレント・立花理佐さん

1971年10月19日生まれ。大阪府出身。1986年にロッテのCMオーディションでグランプリを獲得。1987年1月放送の『毎度おさわがせしますⅢ』(TBS系)にて主演を務め、同年『疑問』で歌手デビュー。現在はラジオ、バラエティーでも活躍中。プライベートでは、2000年に結婚、2004年に長男を出産。2020年に直腸がんと診断され、子宮などの摘出手術を行った。https://ameblo.jp/lisalovers/
撮影/浅野剛 取材・文/小山内麗香