
“骨格補正メイク”を考案し、大人女性の好印象メイクを提案している池田曜央子さん。現在の華やかな姿からは考え難い、外見のコンプレックスで挫折した過去もあったのだそうです。インタビュー第2回では、美容業界に飛び込むまでの紆余曲折の人生について語っていただきました。
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ストレス過食と外見差別から変わった未来
新卒でインテリア商社に入社したことをきっかけに、住宅設計に興味を持ち二級建築士の資格取得を目指して奮闘していた池田さん。仕事仕事の毎日で、あっという間に20代を駆け抜けていったそうです。ある日、30歳を迎えたことをきっかけに、ふとプライベートに立ち返ったと話します。
「仕事が楽しくて結婚願望なんてなかったのに、あっという間に30歳を迎えて。年齢を目の当たりにしたときにプライベートが疎かになっていたことに気づいて、どうしようって思ったんですよね。そこから婚活的なことをゆるゆるとして…38歳のときに知人の紹介で出会った夫は、お互いに早く結婚しなきゃって焦っていた同士だったので、結婚まではとても話が早かったです(笑い)」(池田さん・以下同)
仕事が体力的にキツいと感じていたこともあって、結婚を機に一度仕事を辞めた池田さん。好きな仕事を離れる寂しさはあったものの、ハードな毎日から解放されて、これが憧れの専業主婦!と、新婚当初は幸せな日々を過ごしていたのだとか。
愛犬にまさかの出来事、日常が一転
しかし、結婚してからちょうど1か月が経った頃、幸せな日々から急転直下となる出来事が起こります。
「独身時代からずっと一緒に過ごしてきた愛犬を、事故で亡くしてしまったんです。もし病気で亡くしていたら心の準備ができていたとは思うのですが、事故で突然お別れをして、しかも私の不注意のせいということもあってペットロスで落ち込んで…。
もしあの時仕事を続けていたら、まだ気が紛れていたかもしれないのですが、専業主婦だから引きこもり放題な環境であるうえに、愛犬を亡くしたショックから現実逃避しようと、過食に走ったんですよね。心の隙間を糖質で埋めて、食べているときに出る幸せホルモンに頼ってどうにかストレスから逃げていました。
ポテトチップスとかアイスとか、一日何個食べたかわからないくらいの量を食べ続けて、血糖値をバンと上げて眠くなって、寝て現実逃避をして。そして起きたら、また悲しみが湧き起こってきて、ごまかすためにたくさん食べて寝る…完全に依存症でした。そんな暮らしを3か月も繰り返していたら、いつのまにか15kgも太ってしまっていたんです」

太った自分を受け入れられず、落ち込む出来事も
3か月もすると少しずつ気分は回復してきたものの、変わってしまった姿の自分を受け止められなかったと言います。
「外出したときにガラスにもっさりしたおばさんが映っていると思ったら、自分だったんですよ。太ってきたことは自覚していたものの、鏡の中の自分を直視できていなかった。マンションでエレベーターを待っていたら、子供から『デブのおばさん』って言われたりもして。
体重が70kg近くて、一気に太ったことを自覚しても、『すぐ痩せるつもりだから』と大きなサイズの服を買いたくなくて。一時的なものだから、すぐに痩せると思いこんで、とりあえずユニクロでLサイズを買っていればいいかなと、今の自分は仮の姿だと言い聞かせておしゃれをしなくなって。
もっさりと太って、おしゃれもせず、化粧もほとんどわからない自分がいて、どん底でしたね。どこに行ってもいないような扱いを受けました。隣のきれいな人はみんなから話しかけられるのに、自分はポツン…。当時は気持ちもふさぎ込んでいました」
「痩せなくてもいいんだ」からメイクの道へ
「若い頃はファンデーションとリップをなんとなく塗っておけばなんとかなっていたのに、40歳手前で太ってしまってメイクもいまいち決まらない、でもこの見た目で一生生きていくのは嫌だな」と思っていた矢先、雑誌を見ていた池田さんは、パーソナルカラーをまとえばきれいに見えるという記事に出会います。それをきっかけに、ファッションとメイクへの道を歩み始めることになります。
「『おー、痩せなくてもきれいになれるんだ』と安易に思って(笑い)。痩せたいけど運動や我慢はできないし(苦笑)。そこでパーソナルカラーを習ってみようかなって思ったんです。そのうち、また業務委託で建築の仕事をすればいいかなくらいに思っていて、今は仕事もしていないし、せっかく習うならプロ講座を受けようと。似合う色を勉強してみようと思ったのが、今の仕事をスタートする最初の一歩でした」

自分を変えたい気持ちから始まった勉強の日々
パーソナルカラーについて学んだ池田さんですが、新たな壁にぶつかります。
「自分はブルベ夏だと知って、とりあえず似合う色を着ればおしゃれに見えるようになると思っていたんですよね。でも、量販店で似合うはずの色の服を買っても、おしゃれでもないし、素敵にも見えない。パーソナルカラーは自分の肌になじむ色ではあるけれど、これは手段の1つであって、おしゃれに見えるためにはファッションをきちんと勉強しなきゃいけないとそこで気づいたんです」
そこで池田さんはさらに、ファッションの勉強ができる学校に行き始めたそうです。
「その学校はファッションだけでなくメイクも付加的に行っていたんですが、メイクのタッチアップがいまいちだったんですよね。写真を撮って夫に見せてもなんだか残念な反応で。
メイクも本格的に学んだほうが、よりきれいになれる道を歩めるんじゃないかと気付きました。当時、嶋田ちあき先生がメイクアップアカデミーを主催していて、学校の卒業生のブログを見てとても素敵だと思ったので、私もこのアカデミーのプロフェッショナルコースに進もうと決めたんです」

年齢に合わせたメイクで大人女性の未来が明るくなる
ファッションの次はメイクという壁に立ち向かうことに。しかし、当時39歳の池田さんは同年代の女性に向けたメイクの楽しさに目覚めます。
「嶋田先生は、長年大地真央さんのメイクを担当するなど、年配の女性をきれいに見せるメイクが得意だったこともあり、私も40〜50代女性向けのメイクをメインに学んで実践していくことになったのが39歳のときでした。
40歳以降の女性って、顔の変化の振れ幅があるんですよね。若い頃はみんな肌にハリがあって、シンメトリーに近いですが、年齢とともに筋肉のクセや骨格の歪みでどんどんズレて、肌もくすむし、たるむんです。だから若い頃は骨格通りに色を付けておけばいいのですが、年齢を重ねてから同じことをすると、ズレたものを強調するようなメイクになりがち。
そうではなく、ズレたものをメイクで補正するのが正しいのだと学びました。下がっているところは上に足す、リップの輪郭がぼやけてきたら消す、少し修正するだけで若々しい好印象につながることを知ったんです。これをもっとみんなが知ったら、メイクで女性の明るい未来を築けると思いました」
◆教えてくれたのは:骨格補正メイク専門家・池田曜央子さん

青山学院大学経済学部卒業。建築士として活動後、美容・ファッションを学び、メイク講師の道へ。好印象な美人に近づける“骨格補正メイク”を考案し、1000名を超える女性を劇的に変身させる。一般社団法人日本骨格バランス協会代表理事を務めるほか、池田曜央子メイクアップアカデミーを開講。著書に『骨格補正メイク「顔の比率」を描き変えて、一生美人!』(主婦の友社)。https://ameblo.jp/nyankosan0916/
撮影/黒石あみ 取材・文/イワイユウ
●《骨格補正メイク専門家として注目》池田曜央子さん「夢中になれるものを選んできた」、美容業界に転身するまでに歩んできた意外なキャリア