【女性セブン連載『骨になるまで 日本火葬秘史』第11回
】多死社会を迎え「送り方」やその後の「お墓のあり方」が多様化するなか、死者のための「祈り」の形も新たな局面を迎えている。葬儀や墓を通じてしか寺や僧侶との接点を持たない人が多い現代において、弔いの簡素化により、宗教そのものも変質を迫られている。ジャーナリストの伊藤博敏氏がリポートする。
* * *
「寺院消滅」が現実化しつつある。信徒数が減少、葬儀の簡素化などで各寺院の収入が減るなか僧侶のなり手がいない。「食えない仕事」が淘汰されるのは自然の理だ。
単一宗教宗派としては日本最大の約1万4600ヵ寺を持つ曹洞宗は、昨年末に発表した「若手僧侶に関する動向調査」で、「僧侶数の縮小スピードが早まっており20年後に僧侶数は40%減少する」と推定した。
梶龍輔・駒澤大学非常勤講師も今年1月、2022年までの40年間の曹洞宗や浄土真宗大谷派(約8900ヵ寺)、日蓮宗(約5000ヵ寺)における合併・解散で廃寺となった寺院を調査分析し、3宗派合わせて703ヵ寺が廃寺となり、増加のスピードが上がっていると発表した。
文化庁宗務課が今年1月に公表した「宗教法人が行う事業に関する調査報告」では、年間収入の低下が報告された。宗教法人の約63%が年収300万円以下。全国に1万の寺を持つ浄土真宗本願寺派もその4割が年収300万円以下だとする調査もある。
背景にあるのは一日葬や直葬、家族葬の普及に伴う葬儀の簡素化と、それに連動した戒名料などお布施の減少、法事の縮小だ。
核家族化や少子化による「檀家離れ」も追い打ちをかける。特定の寺院に一貫して葬儀や供養を任せ、お布施などによって経済的に支援する「檀家制度」の崩壊は、寺院の基盤を根底から揺るがす。
檀家制度を捨て、本来の姿に立ち戻る
「お寺を支えるシステム」が崩壊していくなか、13宗ある日本の仏教宗派の枠組みには大きな変化はない。むろん痩せ細る現状に危機感はあるのだろうが、「本山」と呼ばれる大きな寺が、小さな寺を「末寺」として支配下に置く「本山末寺」の関係のなか、末寺からの上納金で運営される本山宗務総長ら運営幹部は、改革を嫌う保守思想のまま、熱湯死を待つ“ゆで蛙”状態にある。
この展望なき寺院の現状を変えるべく、2007年の住職継承時から取り組んできたのが橋本英樹である。埼玉県熊谷市の檀家数約400軒の見性院を父・住職から受け継いだ橋本が、まず手掛けたのは檀家制度の廃止だった。
400年以上の歴史を持つ曹洞宗の見性院は、寺院経営の損益分岐点とされる300軒を超え“そこそこ食える寺”だった。だが橋本は、「自らの力で信者を増やすことができ、個人が自由にお寺とつながる本来の姿に立ち戻りたい」と考えた。準備を重ねて2011年4月の役員会で「檀家制度の廃止」を諮ると予想通り紛糾した。保守的な考えを持つ役員たちが、本山や周辺寺院との関係が変わり、長年親しんできた習俗が失われることを恐れて反対するのは当然だ。橋本は1年以上根気よく説得を続け、2012年6月、檀家制度廃止に漕ぎ着けた。
まず取り組んだのは葬儀や法事の「お布施」を値下げし、明確な定額料金にすることだった。お布施は金額の不透明さが不評で、それもあって民間企業が運営するインターネットを中心とする葬祭斡旋業者に“顧客”が流出している。そこに橋本は切り込んだ。通夜葬儀、一日葬別の価格はもちろん、戒名は「なし」「信士・信女」「居士・大姉」など種類ごとに金額を決め、その後の法事、お盆供養、卒塔婆供養に至るまで金額を明示した。
葬儀の運営においても遺体搬送、遺体安置、着替え、納棺、葬式、出棺まですべてを、僧侶と寺の職員で対応できる「寺葬体制」を確立した。檀家が手配した葬儀社任せで斎場に赴く僧侶が大半のなか、橋本は副住職の時代から準備を整え、一貫体制を確立したうえ、現在は霊柩車も用意している。
檀家制度の廃止で一時的に収入は減ったものの、そうした抜本的な改革により、すぐに盛り返した。“弔いの見える化”とともにその原動力となったのは「永代供養合同墓」だ。一律3万円で遺骨を引き取り、寺の敷地内の合同墓で一括管理する。申し込みはネットが多く、郵便局の「ゆうパック」を利用した送骨も少なくない。檀家制度廃止と重なり、多くのメディアに取り上げられ人気を集めた。
橋本の改革に終わりはない。YouTuberでもある橋本は自身が運営する『見性院〜みんなのお寺チャンネル〜』で「変化する寺事情」、「ネット時代に対応した寺の将来」など新たな施策を配信している。ネット利用は見性院の真骨頂。現在は檀家制度廃止のために取り組んだ「見える化」をさらに進め、参列者数、葬儀形態、戒名、花の数などを打ち込めば料金が明示され、予約を入れクレジット決済ができるシステムを確立させた。霊園は、現在所有する見性院墓地、熊谷霊園に加え、新熊谷霊園を建設中だ。永代供養墓に加え樹木葬、納骨堂が配置される予定であり、墓のすべての形態が完備されることになる。万全の状態のなか、それでも橋本は危機感を持つ。
「ほとんどの人がお葬式や法事をしなくなり、今後はお墓を持つ方も激減するでしょう。日本仏教の宗教的ビジネスモデルはお寺に宿泊する『宿坊』も含めて崩壊していくと思います」
そのうえで今後を描く。
「お寺の複合施設化がこれからの課題となる。具体的には医療や士業との連携です。内科や歯科のクリニック、弁護士や税理士の事務所もあって各種相談ができる。そのなかに供養を含む宗教的な相談や読経、法話を聞くお寺のスペースもあるというイメージです」
橋本は今後も、人と時代の先読みを通じて「寺と宗教の今後」を探求し続けるつもりだ。
「神社主催のお葬式」が人気の理由
神社も状況は変わらない。むしろ寺院のように「葬儀」という“ドル箱”を持たなかったゆえ、さらに厳しい状況を強いられてきた。実際、神職の平均収入は約300万円。著名神社以外は副業を持つのが当たり前の世界だ。
明治時代の初期、神社が寺院を凌駕すると目されたことがある。江戸時代末期の国学の隆盛を引きずる明治政府は明治元(1868)年、神仏分離令を発し、神道国教化に向けて動き始めた。それは幕府の庇護を受けて普及した「仏葬」に代わり、神式葬儀の「神葬祭」を広めるチャンスでもあった。しかし、政教分離を求める海外の動きもあって、政府は政治と宗教を分離せざるを得なくなり、神葬祭は習俗として根を張った葬式仏教に取って代わる根拠と意欲を失った。
その後、第二次世界大戦を経て敗戦を迎えた日本政府がGHQからの「神道指令」を受けたことで、国家神道は解体され、神社界は神社本庁を包括法人とする宗教法人に生まれ変わる。しかしその結束は強いとは言い難く、近年は5期15年にわたって神社本庁の総長を務める田中恆清氏が多選批判を浴び、鶴岡八幡宮が離脱するなど指導力の低下が著しい。
事実、正月の賽銭、パワースポットとして「ご朱印帳」などは継続しているものの安産、お宮参り、七五三、厄除けなどで神社を参拝する人の数は減り、日本の伝統的な挙式スタイルだった「神前式」も新たな習俗に押されている。
ただ、神社界にも葬式仏教に飽き足らない氏子向けに神葬祭のよさをアピールして神社復活を目指す動きがある。
東に横浜港、西に富士山を望む横浜市保土ケ谷区の高台に位置する星川杉山神社は日本武尊を祭神に1200年の歴史を持つ。平岡好晃宮司が経緯を語る。
「戦後、この神社をどうやってお守りするかという維持活動のなかで、祖父が現地へ神職として赴き、その場所で祭典をご奉仕する『出張祭典』のお手伝いをしたのがきっかけです。父がそれを引き継ぐ形で葬儀会場に出向いて『神葬祭』を執り行うご奉仕をさせていただき70年近い歴史を持ちます。いまは月に数件という形で、横浜霊園内にご遺骨を納める奥津城(神道式のお墓)を所有、約20家が利用されています」
神葬祭は儀式が多く、「納棺祭」から始まり「遷霊祭」「通夜祭」「葬場祭」「火葬祭」「帰家祭」「直会」と続く。火葬前に通夜と告別式にあたる葬場祭が行われるのは仏式と同じで、直会は葬儀でお世話になった人の労を飲食でねぎらう集まりだ。お経ではなく祭詞が奏上され、焼香ではなく玉串拝礼が行われる。神道に戒名はなく、男性は大人命、女性は刀自命など、亡くなった年齢と性別によって家の守神としての諡が付けられる。神葬祭で評判がいいのは神職が故人の略歴を読み、徳をたたえて偲ぶ祭詞だ。
「最も大切な場面です。この方はこういった一生を終えたんだよ、務められてきたんだよ、ということを祭詞のなかで、参列者に伝え理解して頂き、故人への思いを共有します」(平岡宮司)
火葬の「アフターマーケット」
葬儀の簡素化で打撃を受けたのは葬儀業も同様だ。昭和30年代以降、病院や施設で亡くなる人が増え、葬儀の場も自宅から斎場へと移行する。棺や葬具の賃貸業としてスタートした葬儀業者は、遺体の運搬から僧侶の手配、火葬場や斎場の選定と予約など葬儀全般を取り仕切るようになっていった。経済成長とともに参列者は多く葬儀は華美になり、少子高齢化が進み多死社会を迎えるという予感のもと、バブル経済崩壊後も「葬儀は不況知らず」とされていた。
しかし21世紀に入ってからの長引く不況によって、右肩上がりだった葬儀業は逆回転を始める。葬儀も墓も簡素化されるようになったうえ、イオンなど大手の他業種の葬儀業への進出や、「小さなお葬式」で知られるユニクエストなどネットを中心とした葬儀仲介業者の台頭で、少人数かつ地域密着型が多い葬儀業界の規模は瞬く間に縮小していく。
許認可・登録事業ではない葬儀業に正確な市場規模の数字はないが、推計で2000年前後のピーク時に3兆円を超えていた売上高は、現在約1兆6000億円とされている。苦境のなか、寺院や神社と同様、葬儀業界もまた生き残りをかけた戦いに挑んでいる。
“葬送系YouTuber”として知られる老舗葬儀会社「佐藤葬祭」の代表・佐藤信顕は、「いいサービスを提供するためにまず取り組むべきは、仲介業者の“中抜き”を規制すること」だと資料をもとに説明したうえで訴える。
「喪家が僧侶に差し上げたお布施の75%が葬儀仲介業者に流れている実例がある。
無税のお布施から75%も手数料を抜くなんて異常です。仲介業者は圧倒的な広告料を投下し、僧侶や葬儀社を支配しています。そうして異常な手数料を取っているとしたら規制強化すべき。我々と僧侶が手を組んで行政などに訴える必要があります」
業歴30年を超える葬儀社「中央セレモニー」代表の大杉実生は、地元密着型の葬儀に注力することで現況の打開を試みている。
「広告宣伝の巧みな大手仲介業者の下に入っていれば仕事は来ますが、利幅が少ないため多くの件数をこなす必要があり、葬儀一つひとつを丁寧に扱えず顧客の満足度にはつながりません。だからその種の仕事をやめ、地域の葬儀社として個々の喪家の事情を知り、その意向を汲み取った丁寧な仕事を心がけています」
東京都葬祭業協同組合の濱名雅一理事長は、東京下町の墨田区で100年続く老舗「オリハラ」の3代目である。濱名が業界全体を視野に入れた私見を明かす。
「火葬してご遺骨にするまでが我々の仕事でした。しかし今後はその後ろのアフターマーケットと呼ばれる世界に進出し、お墓や法事、法要のお手配はもちろん、相続の手続き、遺産運用といったことを会計士団体などとタイアップして展開することも必要だろうと思います。
もちろん個々の葬儀社での対応は難しいゆえ、組合が仕組み作りを考えるべきでしょう」
縮小するパイを宗教界と葬儀業界が、大小入り乱れ、各々が新機軸を打ち出しつつ、奪い合っている。そこに東京博善のような火葬場も参入しており、主導権争いが激化するのもやむを得ない。
ただ争奪戦を繰り広げるだけでなく、葬送を新しい習俗や文化として再生させ、多死社会のなか、パイを大きくすることはできないのか。意欲を持った宗教者や葬儀・火葬業者の取り組みが、いま求められている。
【プロフィール】
伊藤博敏(いとう・ひろとし)/ジャーナリスト 1955年、福岡県生まれ。編集プロダクション勤務を経て、1984年よりフリーに。経済事件をはじめとしたノンフィクション分野における圧倒的な取材力に定評がある。『黒幕 巨大企業とマスコミがすがった「裏社会の案内人」』(小学館)、『同和のドン 上田藤兵衞 「人権」と「暴力」の戦後史』(講談社)など著書多数。
(文中敬称略)
※女性セブン2024年9月26日・10月3日号