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《胸に十字の手術痕》冠動脈バイパス手術をした松山千春、歌うのも難しい状態「来年の春のコンサートは無理かもしれない」 リハビリを支える最愛の家族 

狭心症を起こして大きな手術をした松山千春
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唯一無二の歌声で、人々に郷愁の念と温もりを届けてきたフォークシンガー・松山千春(68才)が、大手術から生還。自身の“ホームグラウンド”であるラジオ番組に復帰した。しかしその爪痕はいまだ生々しく、歌声復活の目処は立っていない。支える家族のドラマと、病床の内幕を緊急レポート。

狭心症で「冠動脈バイパス手術」

「本当にお疲れさまでした。まだまだやりたいことが当然あったと思うけど、後輩に託してやってください」

10月20日、自身のラジオ番組『松山千春 ON THE RADIO』(FM NACK5)で、その3日前に急逝した俳優の西田敏行さん(享年76)を追悼したのはフォークシンガーの松山千春。

先輩名優の死を悼んだそんな彼もまた、10月13日に、生死の境から復帰したばかりだった。

「実は私、狭心症で心臓の近くにある血管が詰まりかけていましてね。これはマズイっていうんで先生が『冠動脈バイパス手術をしましょう』と言う。9月1日にこの番組をやって、翌日病院に行って『じゃあ手術しましょう』と。

それこそ全身麻酔で、そのときから記憶がないわけだ。目が覚めたら、ICU(集中治療室)の個室にいたんだよ」(10月13日のラジオより)

本来であれば、この10月に松山は全国ツアーを行う予定だったが、8月中旬の同番組で狭心症が悪化していることを明かし、中止を発表していた。

「2008年6月、大阪公演後に緊急搬送され死の淵をさまよって以来、千春さんは度々体の不調を訴えるようになりました。倒れたときは心臓をつかまれたような激しい痛みに襲われたそうで、2度受けた手術で冠動脈に5本のステント(血管内を拡張する器具)を入れたそうです。1か月足らずで奇跡的な復活を遂げ、『おれはこれくらいで終わる男じゃない』と吠えていたのですが……」(音楽関係者)

手術は成功したものの体への負担は予想以上

医師からたばこを止められても禁煙せず、無理を押してその後もステージに立ち続けたが、2018年にゴルフ中に低血糖で倒れ、翌2019年にも心臓発作に見舞われた。

「今回は、全国ツアーの前にメンテナンスのために検査を受けたところ、狭心症の悪化を指摘され、医師から手術が最善の策であると告げられたそうです。手術の記憶はほとんどなく、麻酔から覚めてマネジャーに『どうだったわけ?』と聞いたのだとか。『そうやって話すことができるんですから、成功です』と言われたそうですが、自分の身に何が起きているのかもわからなかったといいます」(前出・音楽関係者)

狭心症が悪化して手術の提案を受けた(写真/イメージマート)
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前回の入院では、病室で自身のバラード曲を聴き「やっぱりおれは天才だ」と再確認したというが、今度ばかりはそこまでの余裕はなかったようだ。前出のラジオ番組でもこう振り返った。

「一般病棟に入ってから、“ああ、歌を歌わないといけないんだな”と思いながら、今日に至るまで歌ってません。口ずさんだりもしていません。なぜかといったら、本当に声がちゃんと出るのかどうなのか、自分でも不安な部分があって……」

手術は無事に成功したものの、体への負担は予想以上に大きなものだった。

胸には生々しい十字の手術痕が残り、以前のように歌うことも、早口で話すことも難しい状態だという。

「本人は10月中に手術を受けて、3か月くらいでステージに復帰したいと考えていたようです。しかし、医師の判断で前倒しで手術が行われ、術後はしゃべるのがやっとという状態。歌えるようになるまでには時間がかかりそうで、マネジャーからも『来年の春のコンサートは無理かもしれない』と言われたそうです」(前出・音楽関係者)

心臓の病に加え、持病の糖尿病も数値が芳しくない。いくつもの病を抱える満身創痍の松山は、近年、ラジオやコンサートでも弱気な発言をすることが少なくなかった。

現在もリハビリを続ける松山を支えているのは、個人事務所のスタッフと最愛の家族だ。

「ラジオではあえて話していませんでしたが、千春さんの奥さんは面会時間が限られている中で可能な限り病院に来ていました。個人事務所の役員でもある娘さんも、千春さんがICUに入ったと知ってかなり心配していたそうです。千春さんは、何も考えずに白い壁を見て過ごしたと話していましたが、家族の支えが心細い入院生活の励みになったといいます」(前出・音楽関係者)

復帰の場にラジオを選んだ理由

松山と彼より1才年上の一般女性の妻は札幌で出会い、20代の頃に約10年間の交際を経て1985年に結婚。一人娘をもうけた。

「穏やかな性格の女性で、千春さんの両親にも優しく接してくれたことが結婚の決め手になったといいます。献身的な姿を見て『おれがもし認知症になっても、彼女なら最後まで面倒を見てくれるだろう』と思ったのだとか。

若い頃には何人かの女性と浮名を流してきましたが、別れた後も相手を大切にするのが千春さんの流儀。コンサートにVIP扱いで招くこともあるようで、奥さんも黙認してきたそうです」(別の音楽関係者)

抜群の声量と独特のハイトーンボイスで聴衆を魅了してきた
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松山にとって、かつての恋人たちはいわば同志。ファンの前でも堂々と自身の移り気を語っていたが、2009年のコンサートでは糖尿病の影響で「もうこっちは役に立たなくなった」と言って会場の笑いを誘っている。

松山が長年、携帯電話のストラップにつけていたのは、長女からもらったぬいぐるみだった。

「色あせても肌身離さず常に持ち歩いていました。一昨年のコンサートで娘さんが結婚したことを明かし、『いくつになっても父さん、母さんは心配しています』と寂しそうに話していたのが印象的でした」(前出・音楽関係者)

今回、松山が復帰の場にラジオを選んだのは、彼にとってラジオこそが原点だからだという。

「1970年代中盤に、デビュー直後の千春さんの才能を見出したのが、STV(札幌テレビ)ラジオのディレクターだった竹田健二さんでした。若くして亡くなった竹田さんへの恩は一度たりとも忘れたことがないそうで、今回の収録もSTVで行われています。深夜ラジオ番組『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)のディスクジョッキーを務めたこともありますが、『NHK紅白歌合戦』には何度頼まれても出ようとしない。本音を言えないテレビより、自由に発言できるラジオの方が好きなんです」(松山の知人)

復帰番組では、悔いを残さず、愛に生きることを歌った名曲『今日は終らない』をかけた。

「一日でも早く歌を歌えるような状態に戻りたいと思います。戻ったときにはこれまで以上の歌を歌えると思います」と語った松山。現在も一生懸命リハビリに努めているという。

※女性セブン2024年11月14日号

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