【女性セブン連載第2回】。昨今、「医療は誰の前でも平等」というのが大きな間違いであることがわかってきた。女性の命や体が“軽んじられてきた”歴史にようやく終止符が打たれ、性差に基づく適切な医療が浸透し始めている。医療ライターの井手ゆきえさんが、進化している性差医療についてレポートする。
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伝統的なジェンダー(社会的・文化的性)観からすると、女性はまず「産む性」であり、女性の健康が重視されるのは妊娠・出産という時期に限られていた。女性個人の健康は二の次、三の次で、母親も「母胎」ではなくなったとたんに、慎重な配慮とは無縁の体と化してしまう歪な社会だったのだ。
そうした価値観を背景に、性差医療をさらに停滞させたのは’60年代の「サリドマイド薬害」だった。
サリドマイドは、1950年代末~1960年代初めに世界数十か国で発売された鎮静催眠薬だ。
この薬を妊娠初期にのむと胎児の手足や耳、内臓に奇形が生じる。全世界で数千~1万人、日本では死産を含めおよそ1000人の胎児が被害に遭い、将来にわたり大きな爪痕を残す薬害事件となった。
妊娠の可能性がある女性を治験から外す
アメリカでは、サリドマイド薬害のショックから、1977年以降「妊娠の可能性があるすべての女性」を、新しい薬の開発にかかわる臨床試験から閉め出す「倫理的」な法規制がとられた。
日本やヨーロッパもこれに準じたため、以降に開発された治療薬の9割以上は、妊婦と妊娠の可能性がある女性への効き目や副作用のデータを大きく欠いたまま、承認されていく。
皮肉にも、妊婦と胎児を守るはずの規制が、妊婦と成人女性を医療の進歩から排除してしまったのだ。
脂質異常症の診断基準値もこの時代の産物といえる。
現在の基準では、悪玉コレステロール値140mg/dL以上が、動脈硬化性疾患と一括りにされる心臓病や脳卒中の発症リスクとされ、運動・食事療法で数値が改善しなければ、悪玉コレステロールを抑える薬をのむようすすめられる。
しかし、ここにも性差はある。悪玉コレステロールが増えることで動脈硬化性疾患のリスクが上昇するのは多くが男性であり、女性への影響はほとんどない。
それにもかかわらず、男性のデータでのみ診断基準を作成した結果、本来、薬を必要としない女性にも、検査値だけで薬が出されるようになってしまったのだ。
日本の医療現場では、悪玉コレステロールを抑える薬の全処方数のうち、なんと7割が女性に出されるという奇妙な状況に陥った時期もある。そのうちの何割が、本来のまずに済んだ薬の「副作用」という不利益を被っていたのだろうか。
原因不明の胸痛 薬が効かない
「私が循環器の病気を診る専門医だというと、大概のかたが産婦人科医ではないことに驚きます。『女性医療イコール産婦人科』という誤解がまだまだ根強いことの証しです」
そう指摘するのは、“女性専門外来の産みの親”として知られる、循環器内科医の天野惠子さんだ。
「私自身、普通の病気に潜む性差に気がついたのは、高校時代の友人が連日のように起こる胸の痛みについて相談に来たときでした」(天野さん・以下同)
40才を迎えたばかりのその女性は、日本有数のシンクタンクに勤務する傍ら、内定していた人材派遣会社の社長職のために、社命で夜間のビジネススクールへ通い始めたという。
そして「胸痛」は起きた。
「産業医からもらったニトログリセリン(狭心症の発作時に服用する血管拡張薬)はのんでも頭が痛くなるばかりで、胸痛には全然効かないというのです。どうしたらいいのか悩んだ末の相談でした」
いまでは当たり前に行われる心臓カテーテル検査や、心血管造影CTも簡単にはできなかった1982年のことである。
その当時、心筋シンチグラフィ(核医学検査)で虚血が証明できない症例では、ストレスによる心因性の「心臓神経症」と診断されていた。
天野さんも「社長職か、命か」の選択を友人に促したが、同時に医師として何か腑に落ちないものを感じていた。
「その後、それまで不定愁訴で片付けられてきた患者さんで同じような症例を診るたびに、『これは何かある』と思いました」
ちょうどその頃、アメリカでは政府の政策によって男性の心疾患死が減り始めた一方、女性の死亡率が上がり続ける「逆転現象」が問題視され始めていた。
危機感を持った医師たちを中心に「女性特有の病態を知るため、性差医学の研究を進めよう」というムーブメントが起き、性差医療が一躍、脚光を浴びていた時期でもあった。
そして1990年、アメリカ国立衛生研究所内に女性の病気の予防と診断、治療に関する基礎研究の拠点として「女性の健康研究局(ORWH)」が開設される。天野さんは、アメリカから次々に届く新たな研究報告から、心疾患に潜む「性差」についての確信を深めていった。
「改めて考えると心電図の波形の違いや、喫煙や高血糖が心筋梗塞の発症率に及ぼす影響は女性の方が強いなど、心疾患の男女差を示す証拠は至るところにありました」
海外の研究報告から、男性基準の検査では診断できない「微小血管狭心症」(※画像検査で確認できるような太い血管ではなく、微小血管で異常が生じて発症する狭心症。40~50代の女性に多いケースとされる)の存在を知ったのもこの時期だ。
天野さんは、心因性の一言で片付けられていた症例でも、心臓カテーテル検査を行うよう訴えたが、周囲の反応は「別に命にかかわる病気じゃないでしょう?」と冷ややかなものだった。「困っている同性を、ただただ見ているわけにはいかなかった」という天野さんは、自身も更年期症状と闘いながら、あらゆる機会を捉えて性差についての報告を重ね理解者を増やしていった。
性差医療になじみがなかった日本の医療界でも重要性が認知される分岐点となったのは、アメリカでORWHが立ち上がってから約10年後の1999年に行われた日本心臓病学会学術集会だ。
「シンポジストとして登壇し、性差医療の概念を紹介しました。『循環器に限らず、更年期障害など女性が困っている症状はまだまだあるはず。女性を総合的に診る女性専門外来を作りましょう』と呼びかけたのです」
賛同する医師は続々と増え、2001年、鹿児島大学病院で日本初の女性専用外来が開設されたのを皮切りに、全国の医科大学や国公立病院で次々と女性外来が開設される。
その数はわずか5年で400か所を超え、ブームともいえる状況だった。それほどの潜在ニーズがありながら、性差医療は長らく置き去りにされてきたのだ。
「ただし、遅ればせながら性差が周知された結果、たとえば動脈硬化性疾患について、近年は性差を加味した発症リスク評価に基づく診断と治療が行われるようになりました。安易な薬の処方も減っているようです」
別掲の表は、性別と血圧、血糖値の異常などのリスク項目を点数化し、あなたの今後10年間の、動脈硬化性疾患の発症リスクを調べるものだ。
あなたの動脈硬化性疾患リスクをチェック
合計点数が高いほど発症する確率が高いわけだが、女性は自動的に「7点」が差し引かれる。男性と女性では、それだけ違うということだ。
自分の主治医は自分 女性外来のこれから
日本に性差医療が紹介されてから25年が過ぎた今年10月1日、日本版ORWHともいえる「女性の健康総合センター」が、東京都世田谷区の国立成育医療研究センター内に開設された。初代センター長には産婦人科医の小宮ひろみさんが就任。前職の福島県立医科大学でも「性差医療センター」を率いてきた実績を持ち、日本人女性の性とジェンダー格差に踏み込んだ性差医療の基盤づくりが期待される。
昨今の医療費抑制の煽りを受け、女性外来が閉鎖、縮小を余儀なくされるなか、旧態依然とした男性目線の医療に見切りを付け、女性外来を守る施設に移籍、あるいは自身で開業する医師も増えてきた。
性差医療の守備範囲も内科的な不調だけではなく、膀胱や直腸、子宮などを支える「骨盤底筋」のゆるみで生じる子宮脱などの骨盤臓器脱に対するロボット手術(2020年に保険適用)や、女性に特化したメンタルヘルスなどへと大きく広がっている。
80才を超えたいまも現役医師として診療を続ける天野さんのもとには多くの患者が訪れる。
「初診では予約時に一般的な問診票に加え、A4サイズの用紙に診療までの経緯を記載してもらうのですが、最高記録で24枚書いてきたかたがいました。とても丁寧で非常に助かりました」
性差医療の根本にあるのは、「一人ひとりの体に合った医療を提供する」という医の基本だ。いまの心身の不調や服薬状況だけではなく、自身の持病や家族歴などの詳細を医師に伝えることが、医療の個人差を埋める第一歩となる。
「病気の適正な診断は『問診7割、診察2割、検査1割』というように患者さんの話が要です。『自分の主治医は自分』という気持ちで、子供の発熱や食欲に気を配るように自分自身を観察してください」
男性基準の医療が「取るに足らないこと」として、女性の病気を覆い隠してきた罪は大きい。しかし一方で、女性は家族の健康を優先するあまり、自身の体が発するSOSをキャッチすることが苦手で、病気の発見が遅れるケースも多い。
性差医療や女性外来を日本に定着させるには、医療を利用する女性の意識も変える必要があるのだろう。
あなたのその不調は、決して「取るに足らない小さなこと」ではないのだ。
では不調を感じたとき、どのように病院を選べばよいか。次回は、「性差医療の名医」の見つけ方を紹介する。
※女性セブン2024年11月21日号