《上着のポケットに帯封のついた札束が…》高倉健さん没後10年、遺骨がようやく故郷の福岡県中間市へ 地元の追悼イベントで明かされた“男気あふれるエピソード”
名優・高倉健さん(本名・小田剛一、享年83)が亡くなって10年。遺骨を巡っては確執があった──。健さんの晩年を支えたのは、33才年下の小田貴月さん(60才)だった。健さん自身が「世話になった人に財産を残したい」と望んだとされ、貴月さんと養子縁組。彼女は健さんの死後、個人事務所「高倉プロモーション」の代表に就任。健さんが残した40億円ともいわれる遺産を相続している。
貴月さんは、健さんの死から一貫して、彼の親戚たちとは距離を置き、やり取りはすべて弁護士経由。九州に住む親戚が「小田家の菩提寺で、母親思いの健さんとお母さんを一緒に眠らせてあげたい」と分骨を申し出ると、“遺骨は故人の遺志で散骨する”といって頑なに拒否した。
しかし七回忌を機に、健さんの密葬に立ち会った映画会社・東宝の島谷能成社長(現会長)が、貴月さんから分骨されたご遺骨を妹の敏子さんたちに渡し、ようやく遺骨の一部がふるさとである福岡県中間市に戻った。名優を巡る人間模様を詳報する。【前後編の後編】
健さんに関連するイベントに細かくかかわる養女
健さんの死の直後は、貴月さんの動きに面食らった関係者も多かった。
「彼女は健さんの愛車やクルーザーを次々と処分。江利チエミさん(享年45)との思い出が残る東京・世田谷の自宅を取り壊し、鎌倉の霊園の水子の墓も更地にしてしまいました。彼女の行動に違和感を覚える人もいたようですが、彼女に遠慮して表立って異を唱える人はいませんでした」(映画関係者)
しかし、10年の歳月が経過し、徐々に風向きは変わりつつあるという。
「高倉プロを継承し、健さんに関する著作権や版権ビジネスを一手に握る貴月さんは、健さんに関連するイベントに細かくかかわる方針です。中間市の地元商工会が企画した過去の健さん主演作品の上映会に厳しい指摘が入ったり、健さんにゆかりのある人のインタビューを収録したドキュメンタリー映画『健さん』の一部が差し替えになったりしたことは関係者の間ではよく知られた話です。
ただ、今年の没後10年の法要には東宝と東映の会長が顔を揃え、健さんと数々の作品を共にした映画監督の木村大作さんも中間市まで足を運んでいました。貴月さんの顔色をうかがっていてはできない行動です」(前出・映画関係者)
納骨式も年内に
親族と関係者で営まれた法要の後には、地元の婦人会主催の追悼イベントも開催。木村監督ら、生前の健さんと交流のあった人たちはトークショーにも登壇した。
「地元の有志らが、東宝など映画会社のサポートのもと、イベントの企画立案や高倉プロと権利関係のない作品の選定など、約1年前から準備を進めてきました。チケットは即完売で、人口4万人弱の中間市で1000人近くを動員したのです」(中間市の地元関係者)
イベントは大盛況で、木村監督からは、健さんとの男気あふれるエピソードが明かされた。
「この日、靴からズボン、ジャケットに至るまですべて健さんからプレゼントされた品物を身につけた木村さんは、まずは、大晦日に健さんから呼び出され、3時間以上もファミレスでコーヒーを飲んだ思い出話を披露。
さらに、しばらく映画の仕事がなかった時代に、周囲から木村さんの苦境を耳にした健さんから『男には冬の時代がある』と書かれた手紙をもらったこと。その後、健さんからプレゼントされた上着のポケットには帯封のついた札束が入っていたことなども話していました。
そうした健さんの思いに触れ、一念発起した木村さんは、自費で仲間を引き連れてロケハンを行い、映画の企画をフジテレビに持ち込んだ。こうして出来上がったのが、自身の代表作『劔岳 点の記』なんだそうです。
『健さんと黒澤明さんは、自分にとって神様。後ろ姿を撮っているだけで、1分でも2分でも画面が成立する役者は、いまはもういない』と熱く語り、詰めかけたファンたちを唸らせていました」(参加したファン)
いまも多くの映画人から愛される健さん。当初はファンたちから「なぜ手を合わせる場所がないのか」という問い合わせを受けて、親族たちが困惑することも多かったという。健さんと同郷で、彼の没後、親族や彼を長年、公私にわたって支えてきた「チーム高倉」など関係取材を続けてきたノンフィクション作家の森功さんが言う。
「ご遺族たちは今回戻ってきたご遺骨を小田家の墓に納骨する予定で、年内には、親族だけで納骨式も執り行うようです。まるで“漂流”していたともいえるご遺骨がようやくふるさとに戻り、敏子さんたちは、『(ファンたちに)正覚寺に来てください』と言いやすくなったことに安堵しているようです。この先、密葬に参加していた関係者から、さらにご遺骨が戻ってくる可能性もあるかもしれません」(森さん)
この日は、かつての共演者からも供花が届き、ファンや遺族がゆかりの品を持ち寄って健さんを偲ぶ様子も見られた。遠くは、中国や北海道から駆けつけた関係者もあったほどだ。こうしたファンたちの思いは泉下の健さんにも間違いなく届いているだろう。
(前編から読む)
※女性セブン2024年11月28日号