
今年2月16日、最愛の夫・叶井俊太郎さんを自宅で看取った漫画家の倉田真由美さん。叶井さんといえば、映画プロデューサーとして「アメリ」など数々のヒット作に関わりながらも、離婚歴が3回、女性経験人数は600人以上、自己破産も経験するという破天荒な生き様でも知られた。
そんな叶井さんのことを、倉田さんは「最高の夫」と語り、漫画やDVD、スマートフォンまで、思い出の品物を大切にしていると話す。まもなく、叶井さん亡き後に初めて迎えるクリスマス、そして年末年始が近づいてくる。思い出から夫婦観、そして葬儀とお金に関する話題まで、語り尽くす。 【全3回の第2回】
「くらたまは絶対にすぐ離婚すると思った」
――倉田さんに叶井さんを紹介したのは、エッセイストの中村うさぎさんです。中村さんは以前、「くらたまは絶対に(叶井さんと)すぐに離婚すると思っていた」と言っていました。そんな予想を裏切り、なぜ最高の夫婦関係を築くことができたのでしょう。
倉田:夫と相性が良かったから、充実した結婚生活を送れたと思っています。最初に相性のよさを確信したのは、映画の趣味が合ったこと。そして、漫画の趣味もぴったりだったんですよ。

――どんな漫画がお好きだったのですか。
倉田:誰もが知っているタイトルではなく、周りで誰も持っていないような漫画の好みが合ったんです。例えば、ジョージ秋山先生の『ラブリン・モンロー』。私は全13巻のうち12巻までしか持っていませんでした。だいぶ前に絶版になっていたので、30代の頃はずっと探していたんです。当時はAmazonやメルカリもないから、古本屋に行くたびに探していたし、『SPA!』で『だめんず・うぉ~か~』の連載を持っていたときにお知らせ欄で「探しています」と探求したのですが、誰からも連絡がありませんでした。ところが、夫は13巻まで、全巻を持っていたんですよ。『ラブリン・モンロー』を全巻持っている夫と、12巻まで持っている妻。そんなマニアックなところで気が合うカップルなんて、日本にほとんどいないでしょ? とにかく周りから、「これが好きなの?」と言われるような作品がお互いに好きだったのです。

――叶井さんは無類の漫画好きとしても知られていますが、他にどんな作品を好んでいたのでしょうか。
倉田:『闇金ウシジマくん」や『黄昏流星群」、『ベルセルク』が好きでしたね。夫が買った漫画は私が好きなことが多いので、今でも処分せずに残っていますよ。捨てられないものといえば、映画のDVD。映画も夫と趣味が合ったし、私が好きなラインナップが揃っているんです。
――どんなジャンルの映画が多いのですか。
倉田:ラブロマンス系のDVDは全然ありませんね。夫は『アメリ』を買い付けて有名になったけれど、好きな映画はアクション、ホラー、サスペンスなのです。私もそういうジャンルが好きだし、動画配信サイトでは見られない作品も多いから、DVDは処分できません。ちなみに、『ウルトラマン』みたいな夫しか見ない作品も、思い出として残してあります。

夫のスマホはいまも契約を続けている
――叶井さんのスマホはいまも契約を継続しているそうですね。
倉田:スマホは夫が最後まで使っていたものだし、捨てられないな。毎日ではないけれど、たまに開いて、壊れていないか確認しますね。ちなみに、アルバムにはろくな写真が残っていないんです。スマホを新しくするとき、前の写真を破棄してしまったからですね。子供と一緒の写真もあったはずなのに、なんちゅうことしてくれたんだと思うけれど(笑い)。

――番号も残しているのですか。
倉田:残しています。番号がなくなると、LINEも消えてしまうそうなんです。それは嫌だし、毎月500円だから、そのくらいなら別にいいかなと思っています。いまでもLINEに「誕生日おめでとう」とか、送りますよ。それは、私のLINEの画面で夫のアイコンが下に沈んでしまい、どこにいったのかわからなくなると残念だからです 。部屋では夫が座っていた座椅子もそのまま残っていますね。
夫が亡くなってモノにこだわりが生まれた
――倉田さんはもともと、モノに強いこだわりや思い入れを持っていたのでしょうか。
倉田:いえ、以前はモノにこだわる性格ではありませんでした。ママチャリは10年以上乗っているけれど、それは単に丈夫で壊れないだけ(笑い)。身の回りは100円ショップで固めているし、夫はブランドものが大好きだったけれど、私はそのよさがわからない。だからモノを大事にするタイプじゃないと思っていたんですよ。ところが、夫が亡くなってからは、夫が使っていたモノを捨てることにもためらうようになりました。夫が皿を洗うときに愛用していた魚型のスポンジとか、捨てられないの。

――魚型のスポンジ、ですか。
倉田:しかも、使いかけのスポンジですよ! 私は、スポンジなんて100円ショップでいいじゃんと言ったことがあるんだけれど、夫はこれがいいんだと言って、結婚してからずっと使っていたんです。思いとか意味が乗ったときに、モノはモノという存在を超えてくるんだなという感覚を、初めて経験しました。ちなみに、うちは家事分担がしっかりしていて、買い物とご飯は私が作り、洗い物やゴミ出しは夫の仕事でしたね。がんを患い、ステントという胆管を通す手術や小腸のバイパス手術で入院していたときも、「今日はゴミの日だから」と連絡がきたことがありました。
――叶井さんは末期がんの宣告を受けてからも、普段通りの生活を送られていたんですよね。
倉田:退院後は、昔好きだったとんかつや焼き肉は食べられなくなりましたが、マグロとイカの刺身は好んで食べていました。寝たきりだった期間があったわけではないし、最期まで自力で、今まで通りに過ごしていましたよ。おむつが必要になると言われましたが、結果的に不要だったし、食事の量は減ったとはいえ食べられなくなることはありませんでした。
抗がん剤をやっていなかったから
――ほかにも、亡くなる前日までシャワーを浴びられていたと聞いています。一般的な末期がん患者のイメージとは異なっていて、驚きです。
倉田:夫の体が弱らなかったのは、抗がん剤をやっていなかったからだと思っています。いま、病院はがんの標準治療を拒否させてくれなくなっています。標準治療を断ったら、「うちでやることはありません」と冷たく突き放す病院もあるし。ネットでも叩かれるから、標準治療をしないと大きな声では言いづらくなっています。夫は抗がん剤を使いませんでしたが、もって半年、どんなに長くても1年と言われたのに、1年9か月生きました。

――叶井さんが亡くなる4か月前、渋谷でお会いしたことがあります。そのとき、普通に電車に乗ってきたと言っていたので驚いたのですが、声もハキハキしているし、とても末期がんの患者には見えませんでした。
倉田:普通に元気だったでしょう? 私、がんで弱っている人に何人も会ったけれど、げっそりやせて、言葉もうまく話せなくなる人が多いんだよね。ところが、夫は最後まで普通に会話していましたから。
――末期がんの患者のイメージが覆されました。
倉田:そういえば、先日、森永卓郎さんにも会ってきました。森永さんもがんを患っているけれど、話し方もいままで通り。理由はわかりませんが、最近は40kg台だった体重が50kg台に戻ったそうです。 しかも森永さんは仕事量がすごい。YouTubeもやっているし、8月は12冊並行で本を執筆したそうで、いまも1日18時間仕事をしているそうですから。森永さんの場合、仕事に対する情熱が、生きるという強い動機になっていると思う。やりたいことがあるし、まだまだ死ねないという感じですね。ちなみに、夫は「いつ死んでもいい」とは言っていたけれど、最期まで仕事をしていたし、仕事が好きだったんですよね。きっと、仕事が生きる力につながっていたんじゃないかな。
取材・文/山内貴範