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2025年1月5日から放送が始まった、NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の主人公・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)は、人々のニーズを掴むセンスに長けた凄腕の出版プロデューサー。ベストセラーを連発、数々の流行を生み出した蔦重が発掘した人物には、日本美術界に欠かせない逸材も多い。大河ドラマ放送の機会に、知られざる業績に触れてみよう。
蔦屋重三郎役・横浜流星
「歌麿」「写楽」を発掘し世に送り出した、ヒットの仕掛け人の正体とは――
「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」
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蔦重重三郎の生涯
・1750(寛延3)年 吉原に生まれる。
・1772(安永元)年 吉原大門口に書店を構える(後の「耕書堂」)。
・1774(安永3)年 遊女評判記『一目千本』を出版。
・1777(安永6)年浄瑠璃本を出版開始。
・1783(天明3)年 黄表紙・往来物を出版開始。
・1783(天明3)年 『吉原細見』の独占出版権を獲得。狂歌師として の活動開始。日本橋通油町に「耕書堂」を移転。
・1788(天明8)年 朋誠堂喜三二の黄表紙『文武二道万石通』を出版。
・1789(寛政元)年 恋川春町の黄表紙『鸚鵡返文武二道』を出版。
・1791(寛政3)年 江戸幕府が山東京伝の洒落本『仕懸文庫』など3作を絶版に。喜多川歌麿の浮世絵(美人画など)の出版をこの頃から開始する。
・1794(寛政6)年 東洲斎写楽の浮世絵(役者絵など)を出版開始。
・1797(寛政9)年 5月、脚気が悪化して死没。47才。
出版ブームを仕掛けた「蔦重」
蔦屋重三郎(以下、蔦重)は、1750(寛延3)年1月7日、江戸の吉原で生まれた。父は尾張国(現在の愛知県)の出身で、母は江戸生まれであった。7才の頃に両親が離別したため、吉原に遊びに来た客を遊女屋へ案内する引手茶屋“蔦屋”を営む喜多川家(北川家)の養子となる。1772(安永元)年、蔦重は義兄が営んでいた引手茶屋の一角に書店を開店。この書店はのちに“耕書堂”と命名された。蔦重に関する著作が多数ある伊藤賀一さんが、当時の出版界の仕組みをこう解説する。
「蔦重は当初、吉原のガイドブック“吉原細見本”の販売代理店や貸本屋を営んでいました。この頃の書店は版元を兼ねるのが普通で、1774(安永3)年には遊女評判記『一目千本』を出版しています。これは蔦重初の出版物で、自らが編集を手掛けた力作といえます」
当時の出版業界は、医学書・歴史書などの専門書を中心に京都や大坂などの上方が隆盛していた。こうした専門書を扱う店を“書物問屋(どいや)”、江戸の資本が出版 する大衆書を扱う店を“地本問屋”と呼んだ。
「江戸時代中期、江戸の人口が拡大して空前の出版ブームが起こると、地本問屋が急成長します。それまで、人々の間で草双紙と呼ばれる絵入りの娯楽本が人気でしたが、安永年間から文化年間(1772~1818)にわたってブームになったのが、それを発展させた黄表紙です。黃表紙は社会的事件や世相などを盛り込み、写実的に描写する内容が特徴です。蔦重も出版に乗り出し、朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)や恋川春町の作品がベストセラーとなり、人気版元としての地位を確立しました」(伊藤さん・以下同)
蔦重は狂歌師の大田太田南畝(蜀山人)、浮世絵師の北尾重政、作家の山東京伝と深くかかわり、さまざまな分野でベストセラーを連発する。京伝は、遊女や風客の様子を会話主体で書いた洒落本でも人気を博した。蔦重は、江戸の“インフルエンサー”と呼ぶにふさわしい人物と言っていいだろう。
業界のピンチをチャンスに変える
だが、こうした江戸の出版界を、幕府は風紀を乱すものとして警戒しはじめる。寛政の改革における黄表紙の取り締まり強化に続き、洒落本は発売禁止となり、京伝は手鎖の刑に処せられただけでなく、蔦重自身も財産を一部没収される処罰を受けた。そんななか、蔦重が次の一手として仕掛けたのが「文を載せない」浮世絵だったのであ る。
「1791(寛政3)年には旧知の喜多川歌麿と上半身のみを描く美人大首絵を出版。その後も役者の大首絵が特徴的な東洲斎写楽の浮世絵を独占販売し、当時はまだ無名だった葛飾北斎や作家の十返舎一九の才能にも注目していたとされます」
経営センスも抜群で、新人育成にも才能を発揮した蔦重。しかし、脚気を患うと寝たきりになってしまい、1797(寛政9)年に47才の生涯を閉じたのである。
蔦重と組んだクリエーターたち
蔦重が世話になったパートナー:朋誠堂喜三二(1735-1813)
すでに人気作家であった朋誠堂喜三二と知り合ったことで蔦重の耕書堂は知名度を大いに上げた。『親敵討腹鞁』は挿絵を友人の恋川春町が手掛けた初期の代表作。
蔦重が頼った浮世絵師:北尾重政(1739-1820)
『吉原細見』のうち、蔦重が耕書堂から初めてプロデュースした『一目千本』の挿絵を担当。蔦重は重政の挿絵画家としての実力を高く評価し、数多くの仕事を依頼している。
“黄表紙の祖”として蔦重と親睦を深める:恋川春町(1744-1789)
戯作『猿蟹遠昔噺』をを出版する作家であり、 浮世絵師、狂歌師としての一面もあった多芸多才であり、江戸時代を代表する“マルチタレント”のような存在。寛政の改革の弾圧後に亡くなってしまう。
幕府から処罰された大ベストセラー作家:山東京伝(1761-1816)
ほかの版元から黄表紙『江戸生艶気樺焼』を出し人気作家だったが、蔦重に事実上引き抜かれ出版活動を支えた盟友のひとり。寛政の改革の出版統制で、著作が風紀を乱すとして50日間の手鎖の処罰を受ける。
吉原大門
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吉原の賑わいが描かれ、正面に大門が見える。吉原遊郭は田んぼに囲まれ、吉原大門は吉原に入るための唯一の入り口だった。
耕書堂
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二代目蔦重の頃の耕書堂の軒先が描かれた葛飾北斎の絵。山東京伝の著作や、名所案内などの本が販売されている。
仕懸文庫
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寛政の改革によって取り締まられた山東京伝の洒落本『仕懸文庫』。1791(寛政3)年出版。
吉原細見
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いわば吉原のガイドブック。江戸を訪れる旅行客が土産として買い求めることも多かった。
◆番組情報
NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』
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時にはお上に目をつけられながらも、出版・浮世絵で数々のブームを創出し、時代の寵児となった江戸のメディア王・蔦屋重三郎(演:横浜流星)。その波乱万丈の生涯を、笑いあり、涙ありの物語として描く。毎週日曜、20時からNHK総合などで放送。
◆教えてくれたのは:伊藤賀一さん
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1972年生まれ。京都市出身。スタディ サプリで日本史・歴史総合講師を務め、日本史全年代から日本美術まで精通。『これ1冊でわかる! 蔦屋重三郎と江戸文化』など、蔦屋重三郎に関 する本も多数執筆。
撮影/杉原照夫(横浜流星) 取材・文/山内貴範
※女性セブン2025年1月16・23日号