
スクリーンからそのまま飛び出してきたような大物夫婦が誕生してから今年で45年。愛息たちは芸能界で居場所を見いだし、初孫にも恵まれた。充実したシニアライフを送るふたりが見据える今後の暮らしとは。
百恵さんとの老後生活に言及
「3年ぶりに出演した連続ドラマ『続・続・最後から二番目の恋』(フジテレビ系)が終わり一段落した三浦友和さん(73才)は、映画を見たり趣味の陶芸に打ち込んだりと悠々自適な日々を過ごしているようです」(芸能関係者)
9月公開の映画『遠い山なみの光』では、主人公の義父役として円熟の演技を見せているという友和。1972年に20才でデビューしてから半世紀あまりが経った。
「最近、身近な人が亡くなることが増えて老後や死について深く考えるようになり、私生活でも心境の変化が起きてきたようです」(前出・芸能関係者)
友和は6月23日発売の『週刊文春WOMAN』2025夏号で、妻の百恵さん(66才)との老後について次のように明かした。
《終の棲家というのを、そろそろ探らなきゃいけないんだろうな》
山も谷もありながら、一緒に幸せな家庭を築いてきたふたりは、“その先”に静かに視線を向けている──。

歌手として一世を風靡し人気絶頂にあった1980年、百恵さんは友和との結婚を機に21才という若さで芸能界を引退した。そして1984年に長男の祐太朗(41才)を、1985年には次男の貴大(たかひろ・39才)を出産し、専業主婦として家族を支えた。
「貴大さんが大学進学時に、祐太朗さんが2008年の歌手デビューのタイミングでそれぞれ家を出ると、自宅は夫婦だけに。百恵さんは趣味のドラマ・映画鑑賞を楽しんだり、キルト制作にいそしむようになりました。
1年に1作のペースで作品を仕上げていて、この春のキルト展に出品した、花柄をベースにしたパステルカラーの新作タペストリーには、いまの穏やかな暮らしぶりが映し出されているようでした」(三浦家の知人)
一緒に犬の散歩に行ったり買い物に出かけたりと、絵に描いたようなおしどり夫婦のふたりが、長く生活の拠点としてきたのが東京・国立だ。
「新婚時に住んでいた高輪のマンションから国立に引っ越したのは1987年頃のことでした。中学高校時代を国立で過ごした友和さんは、静かで落ち着いた街の雰囲気を気に入っていたようで、いずれは国立に住むことが夢だったそうです。『子供は緑と土のある静かな環境で育てたい』という百恵さんの希望にもぴったりだったので、引っ越しを決めたといいます」(前出・三浦家の知人)
ローンを組んで200坪ほどの敷地を購入し、憧れの地に一戸建てを建てたふたりだが、順風満帆とはいかなかった。二枚目俳優路線から伸び悩んだ友和は仕事に恵まれず、泣く泣くマイホームを手放そうとした時期もあったという。
「危機に直面しても百恵さんは肝が据わっていて、友和さんを『月10万なら10万円の、1000円なら1000円の生活をすればいい』と鼓舞してくれたそうです。
その後、友和さんは好青年のイメージを逆手にとった二面性のある役柄のオファーが増え、自宅売却の危機を乗り越えました」(前出・三浦家の知人)
百恵さんは地元のキルト教室に40年近く通い続けるなど国立ライフを満喫。祐太朗は2020年に「国立市観光大使」に就任し、三浦家はすっかり国立の“顔”になっている。
息子たちに迷惑をかけたくない
かつてインタビューで《孫は、うちはちょっと望めそうにないしなぁ》と語っていた友和だが、2020年に祐太朗が声優の牧野由依(39才)と結婚し、2年後には娘が誕生した。
「ふたりにとって待望の初孫でした。国立から電車で1時間ほどの都内の一等地に住む祐太朗さん夫婦はよく孫の顔を見せに来ていて、七五三などの行事も3世代揃って行ったようです。百恵さんも友和さんも孫を溺愛していると聞いています」(前出・三浦家の知人)

穏やかな生活を送っているように見えるが、友和は前述のインタビューで《終の棲家》に触れ、さらに《孫も可愛いけれど、一緒に暮らしたいという願望も全くないんです》とも告白した。
「ふたりきりの最期を、と考える根底には三浦夫妻自身の経験があるようです」(前出・芸能関係者)
1996年、ふたりは自宅を一部リフォームし、友和の両親を迎え入れた。当初は元気だったが、同居からしばらくすると介護が必要な状態になったという。
「友和さんは仕事で家を空けることが多かったので、百恵さんが病院の付き添いから食事といった日常生活の介助まで、ほぼすべてをこなしました。2020年頃に施設に入るまで15年近く献身的に寄り添ったそうです。その後、両親は2021年と2022年に相次いで亡くなりました」(前出・芸能関係者)
友和は長期間百恵さんに負担をかけてしまったことを後悔しているという。
「この春には、長年両親に尽くしてくれた百恵さんをねぎらう意味を込め、ふたりでフランス旅行をしたそうです」(前出・芸能関係者)

介護の苦労を知るだけに「子供たちには同じ苦労をさせたくない」との思いを強くしているのだろう。
「息子さんは2人とも芸能界に入りましたが、すぐに芽が出たわけではありませんでした。祐太朗さんはなかなかヒット曲が出ず、2017年に百恵さんの楽曲をカバーしたことでようやくブレーク。その後自身の持ち歌も評価され、毎年全国ツアーを開催できるほどになりました。
貴大さんは地道に俳優の仕事を続け歌舞伎役者を描いた大ヒット中の映画『国宝』では、歌舞伎の興行を取り仕切る会社の社員を演じ、深みのある演技で高い評価を受けています。2026年放送の国民的ドラマにも出演が決まっているといいます。荒波に揉まれながらも地位を確立しつつある2人の貴重な時間を、自分たちの介護のために奪いたくないと考えているのでしょう。
友和さんは、自身や百恵さんが親バカであることは認めつつも子供の仕事には口を出さなかった。口を出すのは“バカ親”だと。どんな形であれ、仕事を邪魔する親にはなりたくないというのがふたりの総意のようです」(別の芸能関係者)
とはいえ年齢を重ねるほど住み慣れた街を離れるのは寂しいもの。しかも家は両親の介護のためにリフォーム済みで、わが家を離れる理由はないように思える。
「友和さんは住環境にこだわりたいタイプだといいます。いまの家はふたりで住むには広すぎるし、立地的にも車がないと不便です。
友和さんは設計や内装を考えるのも好きだといいますから、“最期を送るのにふさわしい家”を建てたいと考えているのではないでしょうか。元気で収入もあるいまがラストチャンスだと感じているのかもしれません」(前出・別の芸能関係者)
どんなふたりの老後を思い描いているのだろうか。
※女性セブン2025年7月31日・8月7日号







