大きく風向きが変わったのは、着物デザイナーとして活動を始めて10年目のとき。知り合いの伝手で、スタイリストさんが訪ねてきました。中森明菜さんの衣装をデザインしてほしいというものでした。ただ、着付けができないから「簡単に着られるもの」という依頼でした。
その時にリリースを控えていたのがあの名曲『DESIRE -情熱-』でした。たしか、最初に話を聞いたときは、まだ曲がなかったのかな。2度目の打ち合わせのときには、曲ができていましたよ。アーティストの衣装を手がけるときには、曲を聴いてイメージしてから作っているんです。『DESIRE』も聞いて、「ロック調なので、とにかく体を動かしやすくしないといけないな」と思いました。なんとなく、振り付けも激しいものになりそうなイメージでしたから。その場で簡単なデザイン画も描きました。
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ボブスタイルのかつらをかぶったのも私の影響なんですよ(笑い)
ただ、実際にあの衣装になったのは別の理由から。その後いくつか衣装を見繕って、着付けをしながら打ち合わせをしていたら「私(紫藤さん)みたいな格好で歌いたい」と中森さんがおっしゃったようで。仕事がら、私は日常的に着物のスタイルで、組紐をぶら下げたりして遊び心を入れて着ていたんです。それに彼女が興味をもったみたいでした。ボブスタイルのかつらをかぶったのも私の影響なんですよ(笑い)。その後、彼女は自分でアレンジを加えて、あの衣装を楽しんでいたみたいですね。
実際に衣装ができて、お披露目されてからも、始めのうちはあまり受け入れられている感じはしませんでした。あの頃の女性歌手は、みんなミニスカートのドレスを着て歌っていたわけです。それが、着物なのに組紐をジャラジャラ揺らして、しかも足元はブーツなんですから。でもそのインパクトが徐々に浸透して、NHK紅白歌合戦出場やレコード大賞を取ることにつながった。次の日から、私の着物に対する世間の見方というのが大きく変わったように感じました。一夜で変わったと思いますね。「なんだ、ありゃ?」というのが「カッコイイね!」になった瞬間でした。
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『DESIRE』の印象は、今でも多くの人の心に残っているんでしょうね。2023年に、藤原紀香さんが日本テレビの特番で『DESIRE』をカバーすることになったときには、紀香さんのために新たに衣装を作りましたよ。テレビ局側からは「明菜さんの当時の衣装のレプリカを」という依頼でしたが、時代が変わって新しく進化していることを伝えたら、紀香さんが共感してくださって、その衣装をブラッシュアップする協力までしてくださいました。アトリエには10回くらい足を運んでくれたのかな。心を込めて彼女に合うよう全てアレンジして、アクセサリーなども新たに作りました。