「業者にすべて処分してもらった」
遺品の行方について、5年間弟の自宅を守ってきた知之さん夫婦に聞くと、ふたりは悲しい表情を見せた。知之さんが言う。
「ちゃんと整理できなかったんですよ。体の自由が年々きかなくなって、物を運ぶことができなかった。写真なんかは(個人)事務所に移すことができたけど、あとは全然……何も残せなかったんです」
志村さんが住んでいた家はすでにもぬけの殻で、いままさに解体工事が進んでいる。現地の様子を伝えると、一瞬言葉を詰まらせてこう続けた。
「そうですか。もう解体が始まったんですね……。
実は……あの家に残っていた荷物は、業者に依頼してすべて処分してもらったんです。しっかりと、“外部に漏らさずに処分する”という契約書にサインをしてもらって、お任せしました。できることなら残しておきたかったけれど、現実的にそれは無理だったんです。寂しい限りです……」
言葉少なに苦渋の決断を明かした知之さん。確かに、大量の遺品を持ち出し、管理していくのは、高齢の知之さんにとって簡単なことではない。そんな状況のなか唯一持ち帰った弟の形見がある──「Shimura」のロゴが入った、デニム地のキャップだ。
晩年の志村さんは、誕生日を迎えるごとに自身の年齢と名前が入ったオリジナルのキャップを作り、親しい人たちにプレゼントしていた。知之さんが持ち帰ったのはその1つで、志村さんが作った最後のキャップだった。
「弟はこの帽子が気に入っていたみたいで、よく被っていたんです。だから、この帽子だけは持って帰ろうと思ってね。いまはおれが散歩とかで出かけるときに、代わりに被っているんです」(知之さん)
※女性セブン2025年3月20日号