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《後編》志村けんさん、“愛の巣”として注目されていた自宅が解体 東村山市民に愛された駅前広場の『志村けんの木』も2~3年以内に移植、もしくは伐採を検討

志村けんさんが過ごした自宅の解体工事が始まった(時事通信フォト)
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志村けんさん(享年70)が、新型コロナウイルスによる肺炎で急逝してからまもなく5年が経過する。東京都三鷹市の閑静な住宅街にあった志村さんの自宅は、長らく空き家状態が続いていたが、ついに解体工事が始まった。この自宅にはどんな思い出があったのだろうか──。【前後編の後編。前編を読む

「おれは家族を持ってはいけない」

3人兄弟の三男だった志村さん。この自宅は長兄・知之さんと次兄(後に次兄の妻)が相続し、主に知之さんと妻が管理をしていた。しかし、昨年から知之さんの足腰が弱り、杖がないと歩くのが難しくなったこともあり、今年の1月に大手不動産会社に売却し、処分するという苦渋の決断に至ったという。

数々の女性と浮名を流した志村さんの自宅は、たびたび“愛の巣”としても注目されてきた。

新築時の1987年には、当時交際していたタレント・井上摩美との新居とされ「結婚間近」と報じられた。1991年には女優・いしのようこ(57才)との「半同棲」を写真週刊誌にキャッチされたことも。

「家庭への憧れも強かった志村さんは、家を建てた当時も、“結婚して子供が欲しい”“子供に『バカ殿』のメイクをさせて、番組で共演するのが夢”などと口にしていました」(志村さんの関係者)

しかし志村さんは、生涯独身を貫いた。年を重ねるごとに、「おれは家族を持ってはいけない」と考えるようになっていったという。

「芸能人の家族ということで、奥さんに窮屈な思いをさせたり、子供がいじめにあう可能性もあると感じていたようです。2004年12月に自宅に空き巣が入り、1500万円相当の現金や貴金属が盗まれたことがあった。家族がいれば、危険にさらすことになるという考えもあったのかもしれません。自問自答を繰り返して、夢だった結婚と子供を諦め、あの家にひとりで住む決意をしたんです」(前出・志村さんの関係者)

移植か伐採が検討されている「志村けんの木」(写真/アフロ)
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自宅の解体工事は、1か月間の予定で進められている。更地に戻る日が迫るなか、もう1つ“消える”志村さんゆかりのものがあるという。

東京・東村山市出身の志村さん。東村山駅の駅前広場には、志村さんの功績を称えて1976年に植樹された3本のけやきの木があり、「志村けんの木」として長年にわたり市民から愛されてきた。

「駅前広場の再整備に伴い、『志村けんの木』を2~3年以内に移植、もしくは伐採することが検討されています。仮に移植となっても3本すべてを移すことは現時点で難しく、1本だけの移植になる見込みです。残りの2本は伐採せざるを得ません」(市役所関係者)

「仕方なかったんですよ……」

知之さんは志村さんの自宅を売却して以降、弟が暮らしたその家を訪れられていないという。まるで自分に言い聞かせるかのように、いまの心境をこう口にした。

2021年6月に東村山駅前に設置された志村さんの銅像(写真/共同通信)
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「誰も住まなくなってから、もう5年も経ちますからね。ただただ朽ちていくのを見ているのもつらいですし、ずっとそのままっていうわけにもいかない。いつかは手をつけなきゃいけなかった。仕方なかったんですよ……」

自宅は手入れが行き届き、38年の築年数を感じなかったと知之さんは振り返る。傷めばすぐに修繕し、大切に暮らした家だった。

そして大の酒好きだった志村さんらしく、大量の酒も常備されていたという。

「いま頃、あっちで飲んでいるかもしれませんね」

弟を思う兄の表情は、穏やかだった。

(了。前編を読む

※女性セブン2025年3月20日号

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