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人生のお手本、頼れる存在、心の拠り所、ライバル、反面教師、依存対象、毒、そして同じ“女”――。娘にとって母との関係は、一言では表せないほど複雑であり、その存在は、良きにつけ悪しきにつけ娘の人生を左右する。それはきっと“あの著名人”も同じ――。女優・秋吉久美子(70才)の独占告白、前編。
告知はしないと決めて――
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「私の母は、72才で末期のすい臓がんと診断され、それからわずか6か月で他界しました。私の人間力が足りなかったせいで、失意と恐怖を抱えたまま逝かせてしまった‥‥。いまでも後悔しています」
女優・秋吉久美子(70才)はそう話すと、目を伏せる。
秋吉の母、まさ子さんにすい臓がんが見つかったのは、いまから20年ほど前、秋吉が50代に入ったばかりの頃だった。
「76才で他界した父の3回目のお盆でのこと。母の暮らす福島県いわき市に妹家族が帰省したのですが、そのときの母の顔色が異常に黄色かったようなんです。本人には自覚症状がなかったものの、妹はすぐに母を連れて病院へ。検査の結果、末期のすい臓がんで余命6か月との診断で、結果は妹にだけ告げられたそうです。私もすぐにその報告を受けたのですが、まさに晴天の霹靂。その年の1月に受けた健康診断では何の異常もなく、72才にしてスポーツバイクを乗りこなすようなアクティブな人でしたから‥‥」(秋吉・以下同)
そのときすでに、すい臓の半分以上ががんに侵され、手の施しようがなかった。
「がんと診断され、私と妹でまず話し合ったのは、母に告知をするかどうか。妹は告知に反対でした。父は肺がんで、1年間の闘病の末に亡くなったのですが、最晩年は在宅医療を受けながら、元看護士の母が自宅で懸命に看護をしていたんです。24時間、心身ともに寄り添っていた母の疲労と心労は相当なものだったのでしょう。十数㎏も体重を落としてしまったんです。
父の看護の苦労によって免疫力を落とし、すい臓がんを発症したのかもしれない。告知をすればショックを受けてさらに寿命を縮めるかもしれない――だからこそ、絶対に告知はしたくないと、妹は頑なでした。
一方私も、知り合いの外科医に意見を聞くなどして、さまざまな情報を集めました。末期のすい臓がんの場合、抗がん剤治療のために1か月ほど入院するのが一般的なのですが、抗がん剤が合わなければ、6か月の余命が1~2か月に縮まるリスクがあると聞きました。逆に抗がん剤治療をせず、痛みを抑える緩和ケアを続ければ、余命6か月のうち2か月程度は、旅行に行けるくらい元気に過ごせるとのこと。だったら、告知はせず、本人に闘わせず、少しでも長く“元気で過ごせる時間”をとろうということになりました」
親戚からは異論も出たという。しかし、家族全員が同じ方向を見て協力し合わなければ、看護は立ちいかなくなる。最終的に秋吉が妹に譲歩する形で「告知はしない」と決めた。
方針は決まったものの、この選択に、秋吉は苦しめられることになる。