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【デビュー55周年】野口五郎が語る人生を変えた“15才の夏の2日間”と西城秀樹さんとの友情「彼は変なプライドがなくて正直。人間性がすばらしい」

人知れず苦しんだ“イップス”

17才のとき『君が美しすぎて』で念願のロンドンレコーディングを実現し、以降、毎年海外レコーディングを敢行した。なかでもロサンゼルスとニューヨークで4枚のアルバムを制作した1976年からの4年間は、人生の転機になった。

1976年、ロサンゼルスで製作したアルバム『北回帰線』のレコーディング中の1コマ
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「ギタリストのラリー・カールトンをはじめ、当代一のミュージシャンとの濃密すぎる音楽作りを体験し、すっかり世界観が変わりました。京平先生からは『25才になったらアメリカに行きなさい』と言われていたので、当然そうするものだと思っていたんです」

しかし、当時の野口は日本歌謡界のトップアイドル。自身が思う以上にその存在は大きく、渡米するなど許されるはずもなく、夢は潰えてしまう。

無念さを抱えつつも、舞台や映画、ドラマ出演など活躍の幅を広げていく一方で、人知れず“イップス”に苦しんだという。

「心が折れたのでしょうね。のどに異物感を覚え、ほかの人には気づかないレベルですが、理想通りに歌えないことがありました。

完全に解消したのは60才手前。ステージで、もうひとりのぼくが『お前、そこブレスなしでいっちゃうの? すごいな』と、歌っているぼくに話しかけてきたんです。

幽体離脱じゃないけれど、そんな体験は、後にも先にも一度きり。その後、不思議とすっかりイップスがなくなりました」

1974年、“新御三家”と呼ばれるようになった野口吾郎。郷ひろみ、西城秀樹と
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「新御三家」として一時代を築いた西城秀樹との友情もよく知られている。

「本当に仲よくなったのは30代半ばからですね。あいつがすごいのは、『おれは何をやっても五郎にはかなわない』と平気で言ってしまうところ。彼は変なプライドがなく正直だから、誰の前であろうとそんなことを口にするような人だったんです。ぼくは、そんな彼が大好きでした。人間性がすばらしい。実は、かなわないのはこっちです」

2018年に西城が急性心不全で亡くなった(享年63)。実は、ちょうどその頃、野口は初期の食道がんの告知を受けていたという。

「取材陣から『秀樹さんが亡くなりましたね』とコメントを求められながら、『これから治療が始まるのに、ああ、なんか酷だなあ』と思った記憶があります。

手術はうまくいきました。告知当初は『やばい、あいつに呼ばれちゃったかな』と思ったけど、逆に助けられたのかもしれないね」

(後編に続く)

【プロフィール】
野口五郎(のぐち・ごろう)/1956年岐阜県美濃市生まれ。11才でエレキギターを弾きながら『ちびっこのど自慢』に出場し優勝。1971年に『博多みれん』でデビュー。同年2作目の『青いリンゴ』が大ヒット。高い歌唱力を武器に『甘い生活』(1974年)、『私鉄沿線』(1975年)などヒット曲を次々と発表。郷ひろみ、西城秀樹とともに“新御三家”としてアイドル的な人気を博す。配信サービス「Dear Music Variation」の開発やDMV(深層振動)の研究も行う。新著に『野口五郎自伝 僕は何者』(リットーミュージック)。

◆billboard classics  野口五郎 PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2025 “KEEP ON DREAMING”

デビュー55周年の新たな幕開けとして、フルオーケストラとのシンフォニック・コンサートを全国4都市で開催。 歌手、ギタリストに加え、ミュージカル 『レ・ミゼラブル』の初代マリウス役をはじめ、俳優としても活躍してきた野口。自身の代表曲やミュージカルソング、ギター演奏と、軽やかなトークが楽しめる。指揮・編曲に渡辺俊幸、ピアノには今春から音楽家として活動する娘の佐藤文音が参加。6月5日・東京文化会館 大ホール、6月12日・兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール、6月18日・愛知県芸術劇場コンサートホール、7月3日・札幌文化芸術劇場hitaruにて。https://billboard-cc.com/goro2025

取材・文/佐藤有栄

※女性セブン2025年4月24日号

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