ライフ

「書くことの動機は家族にありました」――作家・桜木紫乃が思う「家族じまい」

毒親の存在に悩む、実の両親や義実家の介護で疲弊、トラブルを抱えるきょうだいと縁を切りたい・・・・家族とのつながりを考え直し、手放す動きの広まりとともに注目されるようになった「家族じまい」。だが、その本質は単に“縁を切る”ということではない。小説『家族じまい』(集英社文庫)の著者である桜木紫乃さんが、“家族じまい”について語った。

写真1枚

 

核家族の歴史が古い北海道

「家族じまい」に共感を覚える人が多い要因について、桜木さんは「昨今の社会情勢の変化も影響しているのでは」と言う。特に、バブル崩壊後の日本を覆う“失われた30年”の空気感や、さらに混迷を極める政治や経済の不安定な状況が、人々の家族に対する価値観に与えた影響は少なくないのでは、と話す。

桜木:私は北海道の出身なのですが、デビュー前からずっと、北海道の「家族」あるいは「家族観」を書いてきました。書くことの動機は、いつも家族とその周りの人間関係だったと思います。

北海道では、核家族の歴史が100年ほどあります。親兄弟を捨てて津軽海峡を渡ってきた初代から始まった、地縁、血縁の薄い人間関係です。親の介護を経験したことのない夫婦が子供をもち、自分たちが老齢になったときに起こったのは、“知識不足”ゆえの様々な問題でした。

――知識不足に端を発するさまざまな問題にどう対峙したのか。

桜木:介護のされかたも介護のしかたもわからない親と子は、“親の面倒は名字を継いだ子供がみる”という内地から借りてきた教えで知識のなさを突破しようとしましたが、難しかったと思います。自身が血縁に薄く生きてきた夫婦には、“きょうだい仲良く親の老後を見守る”という精神的な土台も薄かった。そもそも、家族というものの捉え方が内地とは異なっているのに、都合良く“日本らしさ”を持ち出しても、問題がずれてゆくばかりだったと思うんです。

 

「家族じまい」で得られるのは「お互いの自由な生き方」

――いまや家族じまいという言葉は一般化されつつあるが、桜木さんは「当初、想定していた意味と違った意味で使われている」と感じることも多いという。

桜木:「家族じまい」を書いた者として言えるのは、この言葉を単純に“家族を捨てる”という意味で使うと、ただ殺伐としたものになってしまうということです。関係を放棄するのではなく、“自分たちに合った精神的距離を持ってつき合う”と思ってもらえたらいいな、と。そして、その精神的な距離が物理的な距離になっていくことがあっても、過剰な負い目は要らないと思うんです。

親世代の矛盾を見てきた我々世代の子育ては、「自分の好きな仕事を得て、自由に生きていきなさい」です。自由に生きていこうとする我が子を、地縁や血縁で縛る必要を感じない。小説の中では、「お互いに捨て合って、よい関係を手に入れましょうよ」ということを書いています。期待は依存と同じであることを、意識せずに学べた世代だったと思うんです。

――終活が定着したいま、「家族じまい」に限らず「墓じまい」や「実家じまい」など、「○○じまい」という言葉が一般化してきた。とはいえ、「家族じまい」にはどこか後ろめたさを感じる人も少なくない。

桜木:著書に対して読者からの反響は大きく、「私の話かと思って読みました」という感想が多くありました。血縁に何がしかのわだかまりを抱え、「親を捨ててもいいですか」と真剣なまなざしで問われたこともありましたね。それに対する私の答えはいつも「あなたの人生を消費しようとする人は、それは親ではない」でした。私自身がひとりの母親なので、子供たちにも、「もしもいつかこの関係に悩んで、殺したくなるくらい憎くなったら、静かに別れ合いましょう」と伝えています。

私は「家柄、家紋、屋号、墓」を、映画『犬神家の一族』で知りました。子供は親の“老後の保険”ではないし、親もまた“生きた財布”ではないんですよね。ほんとうの自立って、関係の維持くらい大変なんですよ。

家族じまい (集英社文庫) | 桜木 紫乃 |本 | 通販 | Amazon

(文・取材/山内貴範)

関連キーワード