
15年という時間が流れても、“その日”に雅子さまは変わらず黙祷を捧げられた。復興が進んでも、心の傷が癒えない人はいる。雅子さまは、そういった困難な状況にある人に寄り添われてきた。普段、グラウンドで味方を鼓舞するスーパースターも、その思いに共鳴していた──。
高校1年生だった大谷翔平(31才)が、大きな揺れを経験したのは花巻東高校(岩手県)の室内練習場だった。震度6弱の地震で校舎にヒビが入り、野球部の寮は停電。避難を余儀なくされた。
幸いにも、大谷はすぐに家族と連絡が取れたが、チームメートの中には岩手県の沿岸部の出身者もいて、津波で自宅を流され、家族の安否がわからない生徒もいたという。16才の衝撃的な記憶は、大谷の心に深く刻まれただろう。
《それまでは自分中心だったと思います。でも、震災後はもっともっと周りのことを考えようと思いました》
震災の翌年、野球専門誌『野球小僧』(2012年2月号)で、将来有望な高校球児としてインタビューを受けた大谷はそう振り返っている。
それから15年、多くの人々に勇気と希望を与える存在になった大谷。3月8日、WBCのオーストラリア戦で勝利を収めた大谷は、東京ドームの貴賓席に向かって静かに拍手を送り、深々と最敬礼をした。顔をあげて眼差しを送った先には、長らく国民と苦楽をともにし、励まし続けてこられた天皇ご一家のお姿があった──。

天皇皇后両陛下と愛子さまは、3月25・26日に岩手、宮城の両県を、4月6・7日に福島県をそれぞれ訪問される。東日本大震災の復興状況の視察が目的で、東北3県を訪ねられるのは令和になって初。同行される愛子さまにとっては、3県とも初めて足を運ばれることになる。発災から15年の節目の旅は、大谷のふるさとである岩手から始まる。
「ご一家は3月25日に特別機で岩手入りし、大槌町文化交流センターで復興状況についての説明を聞かれた後、昨年完成したばかりの追悼施設『大槌町鎮魂の森』で犠牲者に花を手向けられます。大船渡市魚市場では、昨年2月に発生した山火事の被災状況などについて説明を受け、震災と山火事両方で被害に遭った住民らと交流される予定です」(皇室記者)
常に被災地へと心を寄せられてきた両陛下。雅子さまはご体調が優れず地方での公務が難しい時期が続いていても、発災から3か月後の2011年6月から7月にかけて東北3県をご訪問。その後も折に触れ再訪されるとともに、思いを言葉にされてきた。
《来年は、東日本大震災の発生から15年、熊本地震の発生から10年の節目の年を迎えます。犠牲となられた方々や、被災され、御苦労を重ねてこられた被災地の皆さんに心を寄せながら過ごしていきたいと思います。また、これまでに発生した災害の経験から得た知識や教訓を世代を越えて語り継ぎ、災害への備えを進めていくことの大切さを感じます。》
昨年12月の誕生日文書に、雅子さまはそう綴られた。
「東日本大震災に限らず、自然災害の被災者は時間の経過とともに人々の記憶から薄れていくことに対する不安を抱いています。雅子さまは、これまでに触れ合った多くの被災者の言葉からそういった心情を理解されているので、慈愛に満ちた言葉で、“語り継いでいく”と繰り返し訴えられているのでしょう」(宮内庁関係者)