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《本格デビューは71才、92才まで駆け抜けた》常盤貴子、寺島しのぶらが慕った「国内最高齢・女性映画監督」との忘れられない思い出(前編)

映画『母 小林多喜二の母の物語』撮影時の山田監督
写真5枚

多くの名優がこぞって出演する社会派インディーズ映画を手掛けてきた、国内最高齢の女性映画監督・山田火砂子さんが今年1月、誤嚥性肺炎や敗血症のため亡くなった。92才だった。世の中にはびこる差別や理不尽を力に変え、誰もが人間らしく生きられる世界を目指し、最期まで現役にこだわった山田監督。その矜持や半生を、「山田組」常連の俳優たちが明かす。

「よーい!スタート!」

山田火砂子さんの気合いの入った大きな声が現場に響く。そして、NGや取り直しをすることなく、シーンを撮り終えると、山田さんは「やっぱり好きなんだよなぁ」と、映画作りができる喜びを語った。2023年末、遺作となった、寺島しのぶ(52才)主演の映画『わたしのかあさん―天使の詩―』(2024年公開)の撮影時、「女性セブン」は山田さんに密着取材を行っていた。

2022年から週3回、1回4時間の透析を受けており、そのときも体調は万全ではない状態。しかし、名優たちと1つの作品を作る喜びや楽しさを感じていた。

1932年に東京都新宿区で生まれ、13才で終戦を迎えた山田さん。女性バンドや舞台俳優を経て、映画監督の山田典吾さん(享年81)と結婚。典吾さんが立ち上げた映画製作会社「現代ぷろだくしょん」で反戦・反差別をテーマに、社会に訴えるさまざまな作品をプロデュースしていく。

1998年に夫の典吾さんが亡くなると、71才で本格的に監督デビュー。山田さんの映画作りの原動力となったのは、世の中に蔓延する女性差別や知的障害のある長女を産み感じた偏見や差別、そうした世の中への怒りや理不尽だった。

「役者になるきっかけは、小学生のころに見た『現代ぷろだくしょん』の作品でした」

そう語るのは山田組常連の渡辺梓(56才)。明治時代に夫と共に日本初の知的障害児教育を実践した石井筆子の奮闘を描いた『筆子・その愛』(2007年)から『わたしのかあさん―天使の詩―』まで5作品に出演している。

「小学校の映画鑑賞会で『はだしのげん』(1976年)や『春男の跳んだそら』(1978年)を見たときに、子供ながらに“この人たちすごい!”と、役者さんの存在に圧倒されたんです。それが強烈な印象に残り、役者に興味を持ちました。

『筆子・その愛』のオファーをいただいてから『現代ぷろだくしょん』はどんな会社かなと調べたとき、『はだしのげん』の会社だとわかり、すごく縁を感じました。山田監督は業界人ぽくなく、駆け引きのない真っすぐなかた。いい作品を作りたいという熱い思いを強く感じ、私を必要としてくださるなら応えたいと思いオファーを受けていたら、気がつけば山田組常連と呼ばれるようになっていたんです」(渡辺・以下同)