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常盤貴子と吉田美月喜が体現する瑞々しい母娘像 若年性乳がんと恋愛に揺れる心の機微を描いた映画『あつい胸さわぎ』

映画『あつい胸さわぎ』場面写真
吉田美月喜と常盤貴子が母娘を演じる(C)2023映画『あつい胸さわぎ』製作委員会
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吉田美月喜さん(19歳)と常盤貴子さん(50歳)がダブル主演を務めた映画『あつい胸さわぎ』が1月27日より公開中です。演劇ユニット「iaku」の名作を映画化した本作が描くのは、とある母娘を中心とした若年性乳がんと恋愛にまつわる物語。港町で暮らす母娘に主演の2人が扮し、ときに笑えて、ふとした瞬間に胸を揺さぶられる、そんな作品に仕上がっています。本作の見どころや吉田さん、常盤さんらの演技について、映画や演劇に詳しいライターの折田侑駿さんが解説します。

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複雑な心の機微を瑞々しく映し出した母娘の物語

本作は、演劇ユニット「iaku」の横山拓也さんが作・演出を務めて2019年に初演され、2022年には早くも再演された代表作を実写映画化したもの。『凶悪』(2013年)や『朝が来る』(2020年)、『東京リベンジャーズ』シリーズなどの高橋泉さんが脚本を担当し、原作のテーマを大切に扱いながらも新たな設定や登場人物を加え、映画ならではの物語を作り上げています。

映画『あつい胸さわぎ』ポスタービジュアル
(C)2023映画『あつい胸さわぎ』製作委員会
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メガホンを取ったのは、2017年公開の『恋とさよならとハワイ』が国内外で好評を博した、まつむらしんご監督。原作である舞台の初演を観た監督は、この物語に、そして登場人物たちの真っ直ぐな姿に激しく心を惹かれ、帰りの道中には「映画化したい」と考えたのだといいます。そんな強い想いを持ったまつむら監督だからこそ、母娘の複雑な心の機微を確実に捉え、瑞々しく映し出すことに成功しているのです。

恋の胸の高鳴りが、やがて胸騒ぎへ

港町にある古い一軒家で暮らす武藤千夏(吉田)と、その母・昭子(常盤)。まだ18歳という年頃の千夏に対して昭子はさっぱりとした性格で、母ひとり子ひとりのこの母娘は、ときには小さな衝突を重ねながらも、明るくにぎやかな日々を過ごしています。

芸大に通い小説家を目指している千夏は、授業で出た「初恋の思い出」についての創作課題のことで頭を悩ませていました。千夏にとって初恋は、相手の忘れられない一言のせいで苦い思い出になっているのです。

その言葉はいまでも千夏の胸に“しこり”のように残ったまま。けれどもその初恋相手と再会した彼女は、再び自分の胸が踊り出すのを感じ、その気持ちを小説にしていくことにします。

映画『あつい胸さわぎ』場面写真
(C)2023映画『あつい胸さわぎ』製作委員会
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それと時を同じくして母の昭子も、職場に赴任してきた男性の生真面目で温かい人間性に惹かれ、久しぶりに胸が踊り出すのを感じています。一組の母娘に同時にやってきた、恋の予感。

そんなある日、千夏が乳がん検診で再検査の通知を受けたことを昭子は知ります。娘を思う彼女は本人以上に不安に苛まれますが、千夏としてはそれどころではありません。彼女の胸はいま高鳴っています。ところが、胸の高鳴りが胸騒ぎへと変わってしまう再検査の結果を、千夏は告げられることになるのです。

俳優個人の魅力が物を言う、キャスティングの妙

本作は千夏と昭子の母娘の関係を見つめたものですが、それだけでは物語は駆動しません。2人の恋の相手をはじめとする周囲の人々との関係があってこそ、この母娘の物語は広がりと深みを得るのです。

映画『あつい胸さわぎ』場面写真
(C)2023映画『あつい胸さわぎ』製作委員会
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千夏が恋する相手・川柳光輝を演じるのは、デビュー作『MOTHER マザー』(2020年)での演技が高く評価され、今年は『映画ネメシス 黄金螺旋の謎』『ヴィレッジ』『君は放課後インソムニア』などの出演作の公開が続く奥平大兼さん。若手俳優の中でもまだ“新人”の枠にいる彼ですが、そんな彼だからこそ作り上げられた、いや、そんな彼にしか生み出すことのできなかった光輝の姿として、物語世界の中で生きています。

つまり、ある種“ありのまま”とも思える等身大の姿を、本作に刻んでいるのです。

母・昭子が心を動かされる木村基晴を演じるのは、バイプレイヤーとして広く知られる三浦誠己さん。心優しく不器用で掴みどころがない男性を演じ、昭子だけでなく、私たち観客をも自然と翻弄します。

映画『あつい胸さわぎ』場面写真
(C)2023映画『あつい胸さわぎ』製作委員会
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前田敦子さんが演じるのは、木村に対する昭子の変化をからかう同僚の花内透子。千夏にとっては良き姉のような存在であり友人でもある彼女が、千夏の恋物語に“ドラマ性”を与える役割を担っています。まだ幼さの残る吉田さんと好対照な前田さんの凛とした佇まいが印象的です。

映画『あつい胸さわぎ』場面写真
(C)2023映画『あつい胸さわぎ』製作委員会
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原作の舞台に登場するのは、ここまでに紹介した5人のキャラクターだけ。ですが、この映画版にはオリジナルのキャラクターが登場します。それが、ミュージシャンとしての顔も持ち、話題作への出演が相次ぐ佐藤緋美さん演じる水森崇と、本作のプロデューサーの1人としても名を連ねている石原理衣さん演じる母・麻美。詳述は避けますが、この母子の存在があることによって、千夏と昭子はより複雑な表情を持つことに。これは映画だからこそ描くことのできる、人間の豊かさといえるものかもしれません。このような人間関係が絡み合うことで、一筋縄ではいかない母娘の関係はより際立ちます。

そんな作品を牽引しているのが、吉田さんと常盤さんの主演コンビなのです。

吉田美月喜&常盤貴子コンビが生み出す瑞々しい母娘像

千夏役はオーディションで、昭子役はオファーだったと明かしているまつむら監督。吉田さんには出会ったその日に出演依頼をし、常盤さんには手紙を書いたといいます。

映画『あつい胸さわぎ』場面写真
(C)2023映画『あつい胸さわぎ』製作委員会
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光輝役の奥平さんについて“等身大の姿を本作に刻んでいる”と記しましたが、それは吉田さんも同じ。すでにいくつかの作品での好演が話題を呼び、早くも頭角を現し始めている俳優ですが、まだまだ“これから”な若手俳優です。1シーン1シーンを懸命に生きようとする吉田さんの姿は、現在と未来のはざまでもがく千夏像にピタリと重なり合っています。彼女が千夏役を演じたいま、この役を演じられるのは彼女以外に考えられないほど。演じるテクニックというのはキャリアを積めば身につけられるのでしょう。けれども若手時代にしか表現できないものも確実にある。これからの吉田さんの俳優人生において何度も語られるであろう瞬間の連続が、本作には収められているのです。

映画『あつい胸さわぎ』場面写真
(C)2023映画『あつい胸さわぎ』製作委員会
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母娘が“そこにいる”

一方、昭子役の常盤さんに関しては「さすが」の一言。母として、そして1人の女性として揺れる心情を、具体的なセリフ以上に、声や表情の質感そのもので語ってみせています。枝元萌さんが演じた舞台版の昭子はよりパワフルかつエネルギッシュな女性で、私たち観客をも力強く引っ張っていくような存在でした。

映画『あつい胸さわぎ』場面写真
(C)2023映画『あつい胸さわぎ』製作委員会
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しかし常盤さんが立ち上げた昭子像は印象が違います。吉田さんが千夏を等身大で演じているように、昭子にも港町で生活する自然で強固な実在感があります。彼女ら2人が体現する母娘は、まさに“そこにいる”のです。

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(C)2023映画『あつい胸さわぎ』製作委員会
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“分からない”という事実に向き合った先にあるもの

本作は、若年性乳がんを患った娘とその母の“ズレ”をつまびらかに描き出します。母としては愛娘の胸よりも彼女の将来のほうが大切ですが、娘本人にとっては、そう考えることは難しい。もちろん、母だって苦しいのは言うまでもありません。この“ズレ”に周囲の人々が介入することで、母娘関係はより複雑なものになっていくわけです。

映画『あつい胸さわぎ』場面写真
(C)2023映画『あつい胸さわぎ』製作委員会
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筆者の好きな言葉の1つに、「愛のない理解よりも、愛のある無理解のほうがいい」といったものがあります。劇作家・鴻上尚史さんの『ピルグリム』という作品に登場するセリフです。自分以外の誰かを愛するがゆえに、相手のことを考えるがゆえに、どうしても理解できないことは多々あります。そう感じたことのあるかたは少なくないでしょう。そして理解できないからこそ、私たちは相手のことを分かろうと努めるもの。それを放棄してしまっては、他者との“ズレ”はどんどん広がっていくばかりです。

愛しているがゆえの無理解は、やがて対話を生むものだと思います。そしてその対話の先のどこかに、相互理解というものがあるのではないでしょうか。筆者はどこまでいっても男性であるため、千夏のような当事者のかたの苦しみを本質的に理解することはできません。

『あつい胸さわぎ』は、同じく男性である原作者の横山さんが演劇を通して、まつむら監督が映画を通して、この“分からない”という事実に向き合った作品だと思います。その分からなさを突き詰めた先に何があるのか。ぜひとも劇場で、たしかめてみてはいかがでしょう。

◆文筆家・折田侑駿

文筆家・折田侑駿さん
文筆家・折田侑駿さん
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1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。https://twitter.com/yshun

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