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藤島ジュリー景子氏が告白本で語った「嵐への愛」 ジャニー氏を説得して櫻井翔をメンバーに選出、“本流”から外れたことで手にしたチャンス 

自身が手掛けた「嵐」について語る藤島ジュリー景子氏
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ジャニー喜多川氏の性加害問題と向き合い、被害者の補償に専念してきた旧ジャニーズ事務所の藤島ジュリー景子元社長(58才)。現在もバッシングの渦中にある彼女が、はじめて胸の内を語った『ラストインタビュー 藤島ジュリー景子との47時間』(新潮社)が7月18日に出版される。そこで彼女は、自身が手掛けた「嵐」について何を語ったのか。【全3回の第2回】

「どうしても入れてほしい」

計47時間に及んだインタビューの中でもっとも多くの時間を割いて語られているのは、ジュリー氏が手塩にかけて育てた嵐とのエピソードだ。告白本からは、ジュリー氏の嵐のメンバーに対する“愛”が感じられる。一部触れると──。

嵐は1999年、バレーボールW杯のPRのために即席で集められた5人組で、当時はこれほどまでに息の長いグループになるとは誰も予想していなかった。

「どのグループも基本的にメンバーを決めたのはジャニー氏ですが、時にはジュリー氏が『どうしても入れてほしい』と直訴することもあった。TOKIOで言えばサポートメンバーからメインボーカルに昇格した長瀬智也さん。嵐の櫻井翔さんも彼女の強い推薦がなければメンバーに選ばれることはなかったといいます」(芸能関係者)

有名私大の附属校に通い、レッスンに熱心ではなかった櫻井は、デビュー前はジャニー氏の関心を引く存在ではなかった。彼の才能を見出し、ジャニー氏を説得したのはジュリー氏だ。

「独特の審美眼で少年の個性や才能を見出すジャニー氏とは違い、ジュリー氏の判断基準は女子ウケするかどうか。その点、上品で賢そうなのにやんちゃな一面がある櫻井さんはジュリー氏の好みにピッタリだった」(レコード会社関係者)

ジャニー氏が選んだ松本潤、二宮和也、相葉雅紀にくわえ、歌とダンスのうまさを買われて抜擢された大野智、そして櫻井が加入した5人はジュリー氏にとってこれ以上ない最高の組み合わせだった。だが、彼女の期待に反して、嵐はデビュー直後から伸び悩み、ブレークまでには長い時間を要した。

国民的アイドルとなった嵐だが、当初、ジャニー氏は彼らに関心を示さなかったそうだ
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「直前にデビューしたKinki Kidsが次々とミリオンセラーを連発するのに比べ、嵐はなかなかCDがヒットせず、握手会をやってもコンサート会場を満席にできなかった。ジャニー氏(叔父・ジャニー喜多川氏)とメリー氏(母・メリー喜多川氏)はますます彼らへの興味を失い、いつ解散してもおかしくない状況が続いていたといいます」(前出・レコード会社関係者)

事務所に見放されたことでジャニーズの本流である舞台にはほとんど呼ばれなかったが、皮肉にもそれが成功の糸口をつかむきっかけとなったという。

「ジュリー氏がテレビ局に積極的に売り込んだ戦略が功を奏し、嵐はメンバーそれぞれがドラマやバラエティー番組、さらには報道番組とさまざまな分野で活躍するようになりました。2008年には冠番組『ひみつの嵐ちゃん!』(TBS系)と『VS嵐』(フジテレビ系)がスタート。『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)のパーソナリティーにも起用されて、彼らの名前は広く知られるようになりました」(別のレコード会社関係者)

同年、5大ドームツアーを敢行した嵐は、SMAPの牙城を脅かすほどの人気グループに成長し、国民的アイドルとうたわれるようになった。

「四半世紀もの間、苦楽を共にした嵐とジュリー氏は親子のような関係で、いまも交流は続いているそうです。インタビューでは、2017年に大野さんが脱退を申し出たときに、解散ではなく活動休止という形を提案したのはジュリー氏だったと明かされています。2020年末にコロナ禍で無観客のライブを行ったあと、彼女は“これですべてが終わった”と肩の荷を下ろすことができたそうです」(前出・別のレコード会社関係者)

(第3回へ続く)

※女性セブン2025年7月24日号

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