
芸を継承するのは才能か血筋か──歌舞伎の世界を赤裸々に描き、吉沢亮(31才)と横浜流星(28才)の熱演に絶賛の声が集まる映画『国宝』。熱狂は公開から1か月経ったいまなお続いており、すでに今年の日本アカデミー賞などさまざまな賞を総ナメにすると評判高い。リアルな世界観とともに注目されたのは、「人間国宝」という頂に挑む人生だ。知られざる人間国宝の人生とはどのようなものなのか。
「認定の話をいただいたときは、うれしさと同時に驚きと動揺がありました。おれでいいんだろうかって……」
そう振り返るのは、2019年に人間国宝に認定された講談師の神田松鯉(82才)。自身が「国宝」となったことに身が引き締まる思いだったと語る。
「人間国宝という言葉には重みがありますが、おごらず臆せず、これまで通り淡々と続けようと思いました。あまりみっともないことはできないとの重圧もあり、“講談を盛り上げよう”との思いが一層強くなったことをいまも思い返します」(神田・以下同)
神田は高校卒業後に役者を志して上京し、新劇や歌舞伎などを転々とする。10年ほどしたあるとき稽古場で小説を朗読すると、個性派の脇役俳優として知られる桑山正一さん(享年61)に「おめえの朗読は講談だよ」と言われた。
「それまで講談の存在すら知らず、試しに二代目神田山陽の高座を聴きにいったらおもしろくて、入門したいと思いました。それが現在にまでつながるのだから、人生はわからないね」

1970年に二代目神田山陽に弟子入りすると、役者の経験を生かしてメキメキと頭角を現し、通常14年かかる真打にわずか7年で昇進した。本人は「どさくさ紛れの昇進」と謙遜するが、たゆまぬ努力なしには果たせないスピード昇進である。
真打3年目、サラリーマンの処世術や心構えを扱う自作の「ビジネス講談」が大ヒットし、1992年に大名跡の神田松鯉を襲名した。そして人間国宝になった現在、講談の魅力は「人間そのものの美学」だと語る。
「講談は、弱い者や小さい者、いたいけな者に常に温かいまなざしを向け、長いものに巻かれない反骨心がある。だから赤穂浪士の話が現代に至るまで人気があるのでしょう。
さらに講談の“命”は一席で完結する『一席物』ではなく、少なくとも十席以上ある『連続物』です。私は若い頃から何十年も講談の伝統である連続物をやり続けたから、それが評価されたのだと思います」
テレビでおなじみの六代目神田伯山(42才)ら愛弟子に伝統を継承することと、自分が舞台に立ち続けることが人間国宝としての使命だと語る。
「私が持っている連続物は弟子たちにすべて受け継いでもらい、埋もれている連続物も掘り起こしてほしい。それに私はなにより講談が好きなので、もっともっと修業を重ねたい。われわれの芸に完成はなく棺おけに入るまで修業の連続で、死ぬまで芸と格闘するつもりです。そういうところをお客さんはちゃんと見てくれると思います」
【プロフィール】
神田松鯉(かんだ・しょうり)/1942年、群馬県生まれ。1961年、新劇・松竹歌舞伎等の俳優を経て芸界入り。1970年に二代目神田山陽に入門し、講談の世界へ。1992年に三代目神田松鯉を襲名、2019年に人間国宝に認定。