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【私が親を看取った瞬間】大場久美子、最期まで意識のあった父のために“ダンディーなパパらしく”身なりを整えた

親を看取る瞬間を語った俳優の大場久美子
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子供の頃はあんなに大きく見えた親が、小さく、頼りなくなっていく。いつかは「親を看取る瞬間」が訪れると頭ではわかっていても、いざそのときが訪れると、あらゆる思いが胸にあふれるだろう──。

2015年秋、俳優の大場久美子(65才)は、長くがんを患っていた父・宣夫さん(享年84)を自宅に引き取った。それまで疎遠だった父は、大場のきょうだいの家で暮らしていたという。

「きょうだいの仕事の都合上、パパは昼間ひとりで家にいることが多かったんです。パパに“こっちに来る?”と聞いたら、行きたいとの意思だったので、自宅の一部屋で介護ができるよう3日で準備して迎え入れました。そのときは看取るつもりはなく、ただ介護のために一緒に暮らし始めました」(大場・以下同)

しかし、父の容体は悪化。腹水を抜くため入院した。主治医からは「明日連れて帰らないと、もう自宅に帰れないかもしれません」と告げられた。

「それは事実上の余命宣告。そのことをパパに伝えるべきか悩みましたが、結局は退院を選びました。でも病院を出るとき、主治医や看護師、受付のかたなどが総出で、ストレッチャーの上にいるパパに頭を下げたんです。それを見て涙を流したパパの姿に“私が伝えなくても、もう悟っているんだ”と思いました」

退院から数日後、大場の父は座ることもままならず、寝たきりになった。

「動くこともしゃべることもできなくても、時折眉を顰めたりしていて、耳は聞こえていることがわかりました。看取りって、本人の意識はないまま亡くなるのかと思っていたけれど、パパは最期まで、ずっと意識があったんです。だからこそとにかく早く楽にしてあげたい、早く苦しみを取ってあげたいということしか考えられませんでした」

親の“最期の瞬間”を看取ることは、誰にでも訪れる可能性のあること(写真/PIXTA)
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最後の別れが訪れたのは、その年の大晦日だった。

「その瞬間、本当に息が止まったのかどうか、よくわかりませんでした。でも私、東日本大震災以降、老犬や被災犬を預かって、最期まで看取るボランティアを続けていたんです。人間と犬を一緒にしてはいけないけれど、“ひとつの命が消えるとき”のことは、身に染みてわかっていました。だからパパの様子を見て、“あと30分以内だな”と、どこか冷静な自分もいたんです。実際、その通りに呼吸が浅くなって、パパが息を引き取ったことを感じることができました」

父が亡くなった直後、大場はある行動に出た。

「一緒に看取った夫が医師に連絡している間、とっさの行動でパパに入れ歯を入れました。散髪とシェービングもしたら、見違えるように顔が若返りました。パパはおしゃれで、自分のことをダンディーだと思っていたので、そのイメージに近づけてあげたくて」

疎遠だった父と過ごした最後のひとときについて、大場は「精一杯やったとしか言えません」と語る。

「とにかく心がけたのは、本人の意思を尊重すること。つきっきりで介護した母の死に目には会えなかったので、父の最期を看取ることができて、感無量です」

【プロフィール】
大場久美子/俳優、歌手。1977年に歌手デビュー。以降ドラマ『コメットさん』(TBS系)などで一躍人気に。がんを患っていた父を2015年に自宅に引き取り、同年に看取る。

※女性セブン2025年8月21・28日号

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