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多くの人が「自宅での最期」を理想とする一方で、増加する「施設での看取り」 介護や苦痛の緩和を含め24時間体制で入居者の最期をサポート

多くの人が自宅で最期を迎えることを理想としている(写真/PIXTA)
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かつて「死の場所」は自宅が圧倒的だった。医療技術の発達とともに、いまや病院や施設で迎える最期が一般化している。しかし、生き方が多様化する時代、死に方も多様化されるべきだ。ただし、それには厳しい現実があることも知っておきたい。

「母は介護が必要になったとき、家で過ごすことを希望していました。でも、当時、仕事も子育てもしていた私はそれを叶えてあげられなかった。せめて最期は自宅で……も思っていましたが、結局どんな準備をしていいのかわからないまま6年前に病院で亡くなりました。介護施設で体調が悪くなり、入院した病院でそのままです。

頻繁に面会に行っていましたし、最期に立ち会えたことは本当によかったけれど、もっとできることがあったのではないかと後悔しています」

こう話すのは都内に住むAさん(62才)。2年前に仕事を退職し、自宅や実家の整理をする時間ができたことで、ふと自分の最期に思いを馳せ、同時に母の死に際を思い出すという。

「2才年上の夫の姉はお姑さんと一緒に住んでいます。看護師だったこともあって在宅介護の情報なども豊富で、ケアマネジャーさんなどに頼りながら、お姑さんはいまも自分の家に暮らしています。その話を聞くたびに、母への申し訳ない気持ちと、一方で自分も子供には迷惑をかけずに死にたいといろいろな気持ちがあります」

自宅で最期を迎えたい でも、できない現実

コロナ禍を経て、自宅での最期を望む人が増えていると言うのは、めぐみ在宅クリニック院長の小澤竹俊さんだ。

「新型コロナの蔓延で、ほとんどの病院が面会制限を設けました。家族に会いたくても会えない、死に目にも会えないという状況を目の当たりにし、制限が多い病院よりも自宅での介護や看取りが見直されたように感じます」

実際に、自宅で過ごすことは病院に比べて自由度が高い。在宅医療に携わる堀尾医院の医師・堀尾建太さんが言う。

「病院は集団生活ですから、患者さんたちのためにいくつものルールがあります。消灯時間や朝食時間も細かく決まっている。自宅であれば、好きなときに寝起きができて、食事も自分の気分で食べたいものが食べられます。自由気ままに、好きな環境で暮らせるというのは大きなメリットでしょう。終末期を心穏やかに自分らしく生きて、そのまま最期を迎えられることを理想とするかたは潜在的にとても多いと思います」

自宅で最期を希望しても叶わない人は少なくない(写真/PIXTA)
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堀尾さんが“潜在的に”と言うように、自宅で最期を迎えることを希望していても、それを表明できない人も多いのが現実だ。

「人口動態調査など厚労省のデータを見ても、在宅死は微増です。住んでいる地域によって、訪問診療をする医師や看護師といった『地域資源』には大きな差があり、自宅での最期を希望しても叶わない人は少なくありません」(堀尾さん)

代わりに増えているというのが、ホスピス型の住宅やナーシングホームといった高齢者施設への入居だと堀尾さんは続ける。

「看護体制が厚く、看取りまで行ってくれる施設で、本人や家族が希望するケースも多いです。急性期の病院を退院してどこに行くかというときに、病院側から提案されることもあると思います」

こうした傾向について、シニアの暮らし研究所代表の岡本弘子さんは「施設での看取りの経験値も高くなっている」と指摘する。

「やはり自宅で最期を迎えるとなると、体制を整えるのも簡単ではありません。亡くなるときには苦痛を伴うことが多く、痛みの緩和が在宅では難しいということもあります。いくら“自宅で死にたい”と思っていても苦しんでいる姿を見るのは、家族にとってつらいものがあります。

医療連携がある施設であれば、介護はもちろん苦痛の緩和も含め、24時間体制で職員が入居者の最期を支えます。顔なじみの職員に見守られ、そのままそこで最期を迎えたい、迎えてもらいたいと考えるかたも非常に増えています」

最期を迎えるときに重要なのは「自分」より「家族」のこと
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※女性セブン2025年7月3・10日号

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