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《理想の最期のための家族会議》「自宅で迎える」には事前の明確な意思表示が重要 延命治療については、できるだけ詳しく家族や医師と話をしておく必要性あり 

自宅で最期を迎えるには明確な意思表示が重要になる(写真/PIXTA)
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かつて「死の場所」は自宅が圧倒的だった。医療技術の発達とともに、いまや病院や施設で迎える最期が一般化している。しかし、生き方が多様化する時代、死に方も多様化されるべきだ。自分はどのような最期を迎えたいか、そのためにはどんな準備をしておくべきか──理想を叶えるための近道は家族会議にあった。

搬送されれば治療されるしかない

理想の最期を考えるうえで、いま重要視されているのが「長生きよりも、苦しくない死」という在り方。そのうえで、延命治療についての意思を表明しておくことの必要性が以前に比べ高くなった。在宅医療に携わる堀尾医院の医師・堀尾建太さんが言う。

「人工呼吸器や胃ろうなどの経管栄養法といった、延命治療とされるものはいくつもありますが、近年、“苦しまずに死にたい”と願う人はとても多い。自分は何があっても自宅で死にたいし、容体が急変しても病院には行きたくない、という場合には、その意思を家族や訪問医に伝えるだけでなく、文面に残しておくとよりよいでしょう」

ただし、いくら自分が“病院に行きたくない”と願っていたとしても、それが叶わないことも少なくないという。

「家族はいざその場になると、救急車を呼んでしまうことがあります。病院へ運ばれたくないのであれば救急車より先に担当の訪問医に連絡してもらうように、事前に明確に意思を伝えておくことが大切です。そうすれば自宅で最期を迎えることができるはずです」(堀尾さん)

「望まない最期」にならないよう、自分の意思は残しておくといい(写真/PIXTA)
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めぐみ在宅クリニック院長の小澤竹俊さんはこう言い添える。

「病院に搬送された時点で、採血や点滴など一定の治療は必ずついてきます。病院が治療すると言えば、医師の裁量権の方が優先されてしまいますから。延命治療といっても、意識がないまま呼吸器をつけられているのが嫌なのか、痛みを緩和する治療なら受けたいのか、治療を施しても寝たきりになるくらいなら病院へは行きたくないのか、できるだけ詳しく家族や訪問医と話しておく必要があります」

最期についての家族会議は、ふとした会話をきっかけに環境や状況が変わったタイミングで都度行う方がいい。話すべき内容が変わることはもちろん、希望も変化するからだ。

「在宅医療を始めるにあたっても、合意形成までは何度も話し合いが必要です。家族、医師と話していたところに、遠方に住む別の親族が入ってきて振り出しに戻ることもあります。なるべく対立構造が生まれないように複数回話し合うことが望ましい」(小澤さん)

人生最後の「自分探し」のための場

家族会議において話し合うテーマは、どこで、どのように──そういう理性的なことだけではなく、本当に重要なのは「幸せになること」だと、小澤さんは言う。

「政府や自治体は、『人生会議』という名称で自分の最期について大切な人と話し合ってほしいと推奨します。でもそこに私は違和感を覚える。なぜかというと、話し合うことがゴールになってしまっているからです。人生の目的は幸せになることですし、会議はあくまでその手段。家族会議を開くことで幸せな最期とは何かをみんなで考えてほしいと思います」

自分にとって、そして家族にとって幸せな最期とは何か。理想の最期のための家族会議は、人生最後の「自分探し」のための場でもあるのかもしれない。

最期を迎えるときに重要なのは「自分」より「家族」のこと
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※女性セブン2025年7月3・10日号

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