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「家族がいないから余計なことに悩まされなくてラク」吉行和子さん、“おひとりさま”理想の逝き方 友達に恵まれ、亡くなる直前まで大好きな仕事ができた幸せな人生 

9月2日に死去した女優の吉行和子さん
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「近年は親しい友人に毎朝のLINEをお願いしていて、『返事がなければ覚悟してね』なんて、笑って言ってました。亡くなる1か月ほど前から入院していましたが、病室でお仕事もしていたし、お元気だったのですが……残念です」

 その知人は、力なくこう振り返った。女優の吉行和子さんが肺炎のため、9月2日に死去した。享年90。父は作家の吉行エイスケさん、母は美容師のあぐりさんで兄の淳之介さんと妹の理恵さんは、ともに芥川賞作家。1997年には、母がモデルになったNHK連続テレビ小説『あぐり』が放送されるほど、有名な芸術一家だった。

 吉行さんは1955年に劇団民藝の舞台に立つと、長らく銀幕で活躍。映画『にあんちゃん』(1959年)や、初ヌードの体当たり演技で日本アカデミー賞優秀主演女優賞に輝いた大島渚監督の『愛の亡霊』(1978年)などが、代表作だった。

 その後は、数々のテレビドラマにも出演。『3年B組金八先生』シリーズの家庭科教師、『ふぞろいの林檎たち』での柳沢慎吾の母親、『愛していると言ってくれ』の豊川悦司の母親を演じるなど、多くの国民に親しまれた“母親・おばあちゃん女優”だった。一方で、私生活は長らく“おひとりさま”だった。

「28才のときに同じ劇団の照明係の男性と結婚したのですが、わずか4年で離婚。“帰宅するとき、家に明かりがついていると酸欠になりそうな気持ちになる”ほど、誰かと一緒に暮らすことが億劫だったようです。結婚してすぐに“失敗した!”と思ったとか」(芸能関係者)

97才まで働いたあぐりさん(右)と母娘ショット
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 その後の半世紀以上は独身を貫いた。自宅にはキッチン道具は何もなく、「包丁を初めて購入したのも80代になってから」と苦笑いで明かしたほど“家庭”とは無縁で、彼女を知る人は皆「本当にひとりのマイペースが性に合っていた」と口をそろえる。

 ただし、孤独なわけではなかった。親友の岸田今日子さん(享年76)、冨士眞奈美(87才)とは、その仲のよさが話題になり、テレビでは3人の名物旅番組ができたほど。2006年に岸田さんが逝った後も、吉行さんと冨士は、徒歩15分以内に居を構える“ご近所さん”だった。

 父を4才で亡くして、母は大正時代から美容師として働く、当時では珍しいキャリアウーマン。

「よく、幼い頃からひとりが当たり前だったため、“家族団らんの食事はほとんど経験したことがない”と言っていましたね。でも悲壮感はなく、“自分の家族がいないから、余計なことに悩まされなくてラク”とも語っていて、それは彼女らしい発言だと思いました」(前出・芸能関係者)

 それでも、兄や妹に先立たれ、たったひとりの肉親となった母あぐりさんが脳梗塞で不自由になってからは、2015年に107才で逝去するまでの7年間、ヘルパーの力を借りながら在宅で介護をしていた。

「お母さんを亡くして以降、“自分は誰にも見てもらえないから”と健康に気をつけるようになって、歩数計を持って1日5000歩を歩いたり。この頃は、“もっと仕事がしたい”と、ますます元気になっていました。自分の家族はいなかったけど、友達に恵まれ、死ぬ直前まで大好きな仕事ができていた吉行さんは、幸せそうでした」(前出・知人)

 その亡き骸は、家族が入った吉行家の墓に埋葬されるという。あの世で、生前には叶わなかった家族団らんを楽しむのだろう。

女性セブン2025925日・102日号 

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