
看護師で、真言宗の僧侶でもある玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)さんの夫はがんを患い、手術をして経過観察となった数年後に再発が見つかり再手術をしたのち、さらなる治療を拒否して旅立った。
死に至る長い道を歩んだ夫に最期まで寄り添った玉置さんは、「夫の死に様は美しかった」と万感の思いで振り返る。
「夫はすべての治療をしたのち、可能性は低いけどまだできる治療を拒みました。そこに懸けるより、残った時間で自分のやりたいことをやろうとしたからです。自宅で点滴をせず、最後は飲めなくなり、食べられなくなって余分な水分が体からなくなりました。本来、死ぬというのはいろいろなものを捨てていくプロセスであり、その通り枯れるように亡くなった夫の姿を見て私は美しいと感じました」(玉置さん・以下同)
同時に彼女が痛感したのは、治療をやめると判断することのどうしようもない難しさだ。
「何も治療しないのはイコール死ぬことで、家族にとっても本人にとってもつらい決断です。医療には治療でやれることがほぼ無限にあるけど、それで命が延びたり病を治癒できないことがわかった時点でどうすべきか。あるいは、息ができなくなり、心臓が止まったらそこから先どうするか。いま、医療や介護福祉、行政の現場はその点を考えようという動きになっているし、これは超高齢社会のなかで多くの人が抱える課題でもあると思います」

大学病院の外科で看護師をしていた玉置さんは、夫の死をきっかけに出家した。その経験から、人は死とどう向き合うべきかを語る。
「人が死ぬのは人生に一度きりのことで、理想の死かどうかはその人だけが判断することです。私たちは生まれることを選べないように、死に方や死ぬ時期を選ぶことはできず、ましてや人の死と自分の死を比べることもするべきでなく、いまの生活の延長線上に死が訪れるのだと考えるべきでしょう。
ただし私の経験上、残された人がものすごくつらい思いをするような死に方でなければいいな、と思う。自分自身、どんな死に方でも受け入れるつもりですが、残された人が“いい死に方だったね”と納得できる死を迎えられればよりよいと思います」
【プロフィール】
玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)/看護師・僧侶。専修大学法学部法律学科を卒業。国際医療福祉大学大学院修士課程保健医療学看護管理専攻看護管理学修士。夫を在宅で看取ったことをきっかけに出家し、高野山真言宗阿闍梨となる。非営利一般社団法人「大慈学苑」創設者で代表を務める。
※女性セブン2025年10月9日号