
古今東西、家族関係の悩みはなくならず、とりわけ嫁姑問題は時代が変わってなお永遠だ。実際の事件を紐解くと、深い悲しみや憎しみが、一線を越えてしまうことも──。
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「自分が手にかけた」
突然、宮橋瞳(仮名)に一本の電話がかかってきた。義理の両親、夫を絞殺した後にナイフで自ら腹や腕を刺して自殺を図るも死にきれなかった母・宮橋町子(仮名・72才)の犯行の告白だった。異変を察知して駆けつけた瞳が110番通報して事件は発覚する。
2019年11月17日、福井県敦賀市の畑と家屋が点在する長閑な集落で凶行に及んだ町子は20代のときに、大阪から嫁いできた。
「一家は建設会社を経営していました。町子は嫁いで以来、夫を支え、経理として自らも働き、2人の娘を育て上げた。娘たちが家を出てからは義理の両親と夫との4人暮らし。家族仲は極めて良好で、周囲から“責任感が強い”“まじめ”と評判の嫁でした。ご近所で町子を悪く言う人はひとりもいなかったそうです」(全国紙社会部記者・以下同)
殺された義母も、「面倒見のいい、ええ嫁さんに来てもろて感謝しとる」といつも話していたという。
理想的にも思えた家族にいったい何が起きたのか──。
事件当時、義両親は90才を超えており、町子は2016年頃から介護をひとりで担っていた。
「義父は糖尿病で目がほとんど見えず“要支援2”。義母は“要介護1”で足が悪く杖が必要で、肛門痛がありました」
2018年には夫が脳梗塞の後遺症で足が不自由となり、町子はその介助にも追われていた。
「夫は一命を取り留めたものの足が不自由になったことで“人間をやめるしかない”と落ち込んでいた。夫をなんとか励まそうと、町子は夫を毎日会社へ送迎するようになりました」
2019年5月には義父の糖尿病が悪化。入院を嫌う義父のために町子は看病を買って出る。入院を断った次の検査では義父の数値が驚くほど改善。主治医が「専門家でも難しいのに、ここまでやれる姿を見ると本当の親子かと思った」と驚嘆するほど。町子は3人の食事をそれぞれ別に3食作り分け、夜はいつでも起きられるように、義父母の寝室の隣部屋のソファで寝ていたという。
どこまでも献身的な町子だったが、2018年末頃から介護うつを患い、その限界は刻一刻と近づく。
「親戚も気にかけており、事件の数日前にも家族会議が開かれていましたが、義父母の要介護の認定度が低く施設に入所することはできなかったそうです」
追いつめられた町子は3人の首に手をかける。引き金は義母の「こんなに苦しいなら楽になりたい」という言葉だった。町子は「ごめんなさい」と繰り返し、最期まで3人の“面倒”をみるべく殺害に及んだ。町子が瀕死の状態で見つかったとき、夫の手をずっと握っていたという。
町子への判決は一審、二審ともに懲役18年。3人を殺害した事件では異例の量刑の軽さ。裁判長は「被告人が対処能力を超えて負担を抱え、追い込まれた」と献身的に介護をしてきた町子に言葉をかけた。
※年齢は事件当時。
※女性セブン2025年11月6日号