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「がんばって!」と見ず知らずの人が一万円を握らせてくれた…出火から1か月あまり、林家ペー・パー子さんの現状を元マネージャー・オバ記者が報告

自宅が火災にあってから、1か月が経った林家ぺー・パー子さん
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 林家ペー・パー子さんの自宅で火災が発生してから1か月あまり。現在の状況はどうなのだろうか。2人の元マネージャーである、女性セブン名物ライター“オバ記者”こと野原広子さんが報告する。

「映画のワンシーンの中にいるようじゃないの」

 9月19日の出火以来、林家ぺー・パー子さんの元マネージャーだった私は、二人のお手伝いで三日にあげず会っているが、それにしても、出火から今日までいろんなことがありすぎた。

 火事の翌々日、二人はマスコミに囲まれていた。ぺーさんはぴらぴらと私に手を振りながら、「ああ、悪いね。来てくれたの。もうねー、なんて言ったらいいかねー」と、いつも通りに見えた。一見、元気そうだ。記者の質問に淀みなく答えている。淀みなさすぎるほど。発する言葉が空を舞っていて、他人事のよう。それがなんとも危うく思えた。

「いまにしてみると反省なんだけどね。火事の3日後、海老名家に行ったら、正蔵の奥さんから『マンションの住人のかたに謝罪に行ったの?』と言われるまで思いが及ばなくてね。それでパー子とふたり、一軒一軒謝りに行ったんだけど、まぁ、その後がね……」

元マネージャーのオバ記者
元マネージャーのオバ記者
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 なんと、火事以来5日間、私を含めた数人以外の電話には出ず、LINEも開かなかった。というか、開けなかったんだね。朝出て行った家が燃えて無くなっているという現実を受け止めきれなくて。

 だけど、現実を受け止められないのは火元だけじゃない。被害が甚大だった下階のかたへの対応も遅かった。「本当にすみません」と急きょ開かれた理事会でぺーさんは小さくなって謝り続けた。ぺーさんと行動を共にしている私と仕事仲間のMさんも加害者として謝った。思えば、加害者側に立って人に謝ったのは初めてだった。

 さて、これからどうするか──既報の通り、ぺーさんは火災保険に加入していなかった。パー子さんの実兄からマンションを相続し名義変更したときに、火災保険に入るべきだったが、気がつかなかったという。そこで、私が加入している保険会社や弁護士の知り合いから知恵を貸してもらったけれど、先立つものが必要なことに変わりはない。ぺーさんの持ち金だけではどうにも立ちゆかないとわかったのは、火事から2週間ほどたってからだ。

「いかほど必要ですか?」「結論、いかほどですか」。ぺーさんから夜中の2時過ぎに、そんなLINEが入る。眠れないのだろう。早朝の6時に電話が鳴ることもあった。「悪いね。ほんと、こんな時間に悪い」という声が日に日に切羽詰まってきた。いても立ってもいられない私は、ぺーさんを上野公園に誘った。

 実はここは私の聖地というか、解決できない問題が起こると、ひとりで長い時間、ここのベンチに座って噴水を眺めてきた。家族問題でゴタついている友人の話を半日聞いたのもここだ。

 家の近くだと気も塞ぐけど、この現実離れした大広場だといい心持ちになる。案の定、ぺーさんも「さすがだねー。映画のワンシーンの中にいるようじゃないの」と目を輝かせてくれた。

見ず知らずの人が一万円を握らせてくれた

 思えばあの日はミラクルの日だった。話すだけ話すと、小食のぺーさんが「うなぎを食べに行こう」と誘ってくれた。上野の有名老舗とは知っていたけど入ったことがない店に行った。そこで美しい若女将が「このたびは大変でしたね」と挨拶に来てくれた。そしてお代を受け取らないばかりか、後から聞けば、心づけまでくださったとか。

「驚かない? 浅草の寄席に向かう途中で、『ぺーちゃん、がんばって』と見ず知らずの人が一万円を握らせてくれたり、泊まったビジネスホテルのカウンターで『これ!』と言ってポケットの中に何かをつっこむから何かと思えば五万円! こんなことってあるの?ってことが毎日のように起きる。驚かない?」

マネージャー時代のオバ記者
マネージャー時代のオバ記者
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 さらにさらに、同門の林家たい平さんがチャリティーイベントを開催してくれた。10月20日に浅草・東洋館で「がんばれ!ぺー・パー子 有志応援団の集いin 浅草」。これは200席があっという間に完売した。「ペーさんを励ましたい」と、松本明子、松村邦洋、せんだみつお、桂米助師匠らが盛り上げてくれた。

 その様子を客席の最後尾で見ていた私は、場内割れんばかりの拍手の温かさに、胸の奥が熱くなった。見たらぺーさんも涙ぐんでいる。パー子さんも「涙、涙です」としっかりした挨拶をした。たい平さんは「ぺーさんだけではなく、被害に遭われた人みんなが元の日常に戻れるように願っています」と締めた。

 まだまだ解決にはほど遠いけれど、先を向いて歩いて行けそうと思うのか、ここのところ早足のぺーさんがさらに早足になって、追いつくの、大変!

【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。

女性セブン2025111320日号

忙しかったけど楽しかった
マネージャー時代のオバ記者
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年齢にとらわれる必要はないと教えられた
年齢にとらわれる必要はないとペーさんに教えられた
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火事現場
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カラオケボックスで話を聞く
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明らかに元気がないペーさん
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記者の質問に答えるふたり
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芸能マネージャーもしていました
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