エンタメ

《追悼秘話》中山忍が語る姉・中山美穂さん 2人の関係は「妹を寵愛する“姉バカ”」と「世界一の中山美穂ファン」 息子の帰国を実現させ「一生分の姉孝行ができた」

中山美穂さん不在の1年を語る中山忍
写真15枚

 時代の最前線を走り抜けた、トップアイドルの死。デビュー40周年を控え、新境地を開こうとしていた矢先の不慮の事故だった。あれから1年──最愛の妹が、本誌『女性セブン』の取材に答えた。妹だけが知る家族の秘話と、中山美穂さん不在の1年を語り尽くす。【前後編の前編】

 代表曲『世界中の誰よりきっと』の歌声とともに、お台場の夜空には彼女をしのぶ鮮やかな花火が次々に打ち上げられていた──。女優・中山美穂さん(享年54)の一周忌となる12月6日、東京・お台場で有志が追悼イベントを開催。ファンの輪の真ん中で、冬の夜空に次々と上がる花火を万感の思いで見上げていたのが美穂さんの妹で女優の中山忍(52才)だ。

「花火が終わると、わーっと拍手が起きて、でもみんな去りがたくて、いつまでも夜空を見上げてくれていました。こんなにきれいな花火が上がって、みんなが『寂しいな』『会いたいな』と同じ気持ちになってくれて、お姉ちゃん本当によかったねと思いました」(忍・以下同)

 2024年12月6日、入浴中の不慮の事故で亡くなった美穂さん。突然の死に多くの関係者やファンが悲しみに暮れた。それから1年の節目を迎えて、最愛の姉を失った忍が秘められた思いを明かした。

「この1年で痛感したのは、寂しいとか悲しいという気持ちは減らないということ。一周忌を迎える頃には心が落ち着くと思っていたけど、そうでもないことに気づいて、愕然としています」

 開口一番、忍は静かにそう語った。美穂さんを失った喪失感は薄まるどころか増すばかりで、日常のふとしたタイミングで姉を思い出すという。本来なら2025年は美穂さんのデビュー40周年で全国ツアーが予定されていた。“世界一の中山美穂ファン”を自称する忍も姉のステージを楽しみにしていた。

1996年、ヨコハマ映画祭表彰式に共に出席した美穂さん(左)と忍
写真15枚

「姉とは当たり前のように一緒に年を重ねていけると思っていました。年齢とともに出てくる体の不調も共有し合い、冗談めかして、『おばあちゃんになってもそれぞれひとりだったら一緒に暮らそうね』と話していたほどです。その未来がもう来ないと思うと悔しくて、“急にいなくなるなんて聞いてないよ!”という思いです」

 3才違いの姉妹は母親が再婚するまで母子家庭で育ち、いつも一緒だった。幼稚園の頃、美穂さんがこぐ自転車の後ろに乗ってピンク・レディーの歌を一緒に歌ったのが姉に関する忍の幼い頃のいい思い出だ。ともに10代で芸能界に入ると多忙で距離が生じたが、30代を迎えた頃から再び近しくなった。2014年に美穂さんが離婚して仏パリから帰国してからは、互いに頼り合う関係になった。

「2024年3月、元宝塚の紫吹淳さんとライブで共演する際、私が自信がないと漏らすと『じゃあお姉ちゃんがリハーサルに行くから』と駆け付けてくれました。トップアイドルだった姉ですが、私生活はいたって普通。私と一緒に役所やスーパーに行くと、地に足の着いた生活を少し自慢するように『お姉ちゃん、偉いでしょ』とよく口にしていました」

離れているけど大事な家族

 一方で、親が子を溺愛する親バカのように、忍のことを寵愛する「姉バカ」だった。

「私が姉の家の猫をなでている写真を撮って、眉毛も描いていないどすっぴんなのに『妹がかわいい』とインスタに投稿していました。いや、これはアップしちゃいけない写真じゃんって(笑い)。私がカラオケで、お姉ちゃんの曲『色・ホワイトブレンド』を歌うと、『下手だけどかわいい』と喜んでいました」

 年齢を重ねるとともに再び子供の頃のように距離が近づいた姉妹だが幸せな時間は長く続かず、あまりに急な別れが訪れた。悲しみに暮れる忍には、姉を弔うにあたり、どうしても譲れない望みが2つあった。1つは美穂さんを大好きだった自宅に帰すことで、突然亡くなってしまった姉を搬送先から自宅に送り届けた。

 そしてもう1つが21才になった美穂さんの息子と会わせること。約10年の間、パリで暮らす息子と日本に住む母が会うことはなかなか叶わなかったという。

「息子に会いたい」という切ない思いを抱いていた美穂さん。その望みを知る忍は関係者に協力してもらい、息子の帰国を実現させた。母子の再会の様子をこう明かす。

「甥っ子に会うのは久しぶりでしたが、彼が姉の家に入って『ぶーちゃん?(忍の愛称)』とマスクを外しながら話しかけてくれたとき、子供の頃の面影が一瞬でよみがえってきました。大きくなっていたけど昔と変わっていなくて、最後はお姉ちゃんと手を握り合って静かな母と子の時間を過ごしてもらうことができました。あれは、一生分の姉孝行ができたと思える時間でした」

 穏やかで優しい青年に育った甥がパリに帰る際、忍は「飛行機で食べて」とおにぎりを持たせた。パリに着いた甥からは、おにぎりの写真とともにこんなメッセージが届いたという。

「離れて暮らしているけど、ぶーちゃんは大事な家族だからね」

(後編へ続く)

女性セブン20251225日・202611日号

関連キーワード