
短期集中対談「シーラホールディングス杉本宏之会長が女性トップランナーに聞く『未来の作り方』」第2回・前編
地方銀行として初の女性頭取に就任した高知銀行の河合祐子さんと、民事再生という危機を経験しながらも、経営者として再び立ち上がり、いまや企業を成功へと導いているシーラホールディングス代表取締役会長・杉本宏之さん。今回は杉本さんが、女性初の地銀頭取として注目を集める河合さんに、女性リーダーとしての覚悟とキャリアの軌跡を聞いた。
「女性初」と呼ばれる時代の終わりへ
杉本:昨年10月に高市早苗首相が誕生して、女性活躍のムードが一気に高まりましたよね。地方行政でもここ5、6年で、女性がトップに立つのが当たり前になってきましたし、河合さんも昨年6月に地方銀行初の女性頭取に就任された。個人的には以前から、「女性初」とか「女性だから」という言い方は、もう時代遅れじゃないかと思っていましたが、河合さんの世代を考えると、ここに至るまでのガラスの天井は厚かったのではないかと想像します。高いハードルもあったのではないでしょうか?
河合:実際のところ、ハードルはなかったです(笑い)。
杉本:まったくですか?
河合:そうなんです、私の体感としてはまったくなかったのです。というのも、1987年に大学を卒業して初めて就職したのが外資系の金融機関でした。ケミカルバンクというアメリカの銀行です。当時から外資系ではダイバーシティが根付いていて、先輩の女性社員もたくさんいましたし、国籍や年齢も多様。個人の成果で評価される文化で働いてきました。仕事に多くの時間を使いたい人はそうすればよいし、ワークライフバランスを取りたい人は取ってもいい。男女の差を感じることなく、キャリアを積むことができましたね。
杉本:その時代では珍しい環境ですね。当時の日本はバブル期で、1986年に「男女雇用機会均等法」が施行されてすぐですから、総合職で働く女性は少なかった。女性が当たり前のように働く外資系にいたのがよかったんでしょうね。
河合:結果的にはよかったのですが、いま振り返ってみると無謀な挑戦でした。入行当初は英語がまったく話せませんでしたから。もし大学生の頃の私にアドバイスができるとしたら、「英語の勉強をしなさい」と言いますね(笑い)。でも働くのは好きでしたし、世界中の金融市場を相手にでき、24時間市場が開いているので、会社でも家でもずっと市場のことを考えている日々でした。
杉本:高市さんと同じく「ワークライフバランスを捨てて」というやつですね。その気概が評価されたからだと思いますが、河合さんは、東京支店だけでなく、ニューヨークの本店でも勤務されていますよね。
河合:ニューヨーク本店勤務は短期間でしたが、その時の経験から“もっと英語を勉強しないといけない”と思って、1991年から2年間アメリカの大学院で勉強もしました。学ぶために勤務先を辞めるつもりだったんですが、「会社としてサポートすべきだ」と上司や同僚たちが動いてくれ、休職扱いで学んでまた同じ勤め先に戻ることができました。
杉本:スピード感や懐の深さは日本企業も学ぶべきところが多いですね。そしてそのあとベンチャー企業を経て2003年に日本銀行に転職されていますが、日本ではまだ、それほど女性を引き上げていこうという空気はなかったと思います。カルチャーギャップを感じることはなかったですか?
河合:日本銀行は確かに伝統的な組織ですが、私が転職した頃にはすでに多様性を意識する動きが広まりつつありました。人生を振り返ると、多様性という観点でもっとも平等に扱われたのは新卒で入った外資企業でしたが、多様性尊重の波は海外から日本へ、都市から地方へと少しずつ浸透していっており、私が現在地方銀行の頭取になれていることはその証左の一つともいえます。ガラスの天井があったとしてもいずれなくなることを外資系金融機関時代に経験しているので、その後日本の組織や社会で差別の気配を感じても、絶望するようなことはありませんでした。
杉本:働く女性にとって勇気が出る言葉ですね。河合さんには仕事の節目節目で支えてくれる仲間がとても多い印象を受けます。
河合:金融業界はグループワークが多いので、働くうえで欠かせないのは周りのサポートでして、その点で私は上司や同僚など周囲の人たちに恵まれていました。ネガティブな言葉をかける人はほとんどいなかった。家族の中では、特に夫と義理の母が女性である私が最前線で働くことにとても理解のある人で、素直に「頑張って」と応援してくれてきましたし、そういう環境で働いてきたことに感謝しています。