
古今東西、家族関係の悩みはなくならず、とりわけ嫁姑問題は時代が変わってもなお永遠だ。実際の事件を紐解くと、深い憎しみが、一線を越えてしまう悲劇が明らかに──。
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「お母さん、ぼくだよ。ここにいるから出てきてー!」
山中に友永裕太さん(仮名・15才)の声が響く。その周囲では、総勢200名ほどの警察官や消防団員、親族らが母の行方を捜す。しかし母からの反応はなく、時間だけが過ぎるばかり―
事件は1975年6月、茨城県の筑波山麓にある長閑な農村地帯で起きた。事件の第一発見者は友永家の長女・彩香さん(仮名・11才)。朝6時に目覚めると、祖父の雄二さん(仮名・68才)、祖母のトミ子さん(仮名・64才)、父の謙治さん(仮名・45才)の3人が布団の中で血まみれになっていたのだ。
「いずれも頭部を手斧で殴られて重体。謙治さんは出血多量でその日の午後に亡くなり、祖父母は重傷でした」(地元関係者・以下同)
そんな中、母親の香織(仮名・40才)の姿がない。警察は重要参考人として香織を捜査対象にした。
「犯行があった部屋から1人分の足跡が、自宅の裏山に向かって続いていたため、山狩りが行われました。警察が捜査した結果、部屋には物盗りの形跡がなかったので、実質、殺人犯探しです」
山狩りの初日、香織と思しき女性が見つかるも逃げられてしまう。果たして、香織は義理の両親と夫を手斧で襲ったのか。だとしたら、なぜ凶行に及んだのか―
香織はその村の出身で、20才のときに友永家に嫁いだ。近所の住民が「働き者」と評するように、朝4時過ぎに起きて暗くなるまで毎日ひとりで畑仕事をし、愚痴ひとつ漏らさなかった。
「妻としてまじめにがんばる香織に対して義両親の目は厳しく、特に姑のトミ子さんは香織に一度として金銭の管理をさせなかった。子供のPTA活動や旅行にもトミ子さんが参加して、香織を決して家の外に出させなかった。“嫁は百姓だけやってればいい”と言い放ったこともあるそうです」
それでも香織は家族のため、身を粉にして働いていた。しかし、姑たちは香織を家族として認めず、ただの“労働力”として扱っていた。その扱いは友永家の表札にもはっきりと表れている。家族の名前が並ぶ中、香織の名前だけが表示されていなかったのだ。嫁いで20年も経っているのに、だ。
「本来、味方になるはずの夫は、両親の肩を持っていた。さらに夫は事件の前年に出稼ぎ先で半年ほど入院する事故に遭ったため、稼ぎが少なくなり、経済的な不安も香織を追い詰めていました。香織は“働けなくなったら追い出されるのではないか”といったことなどを実家に相談していたそうで、精神は限界を迎えていたのでしょう。そして、いつまでもよそ者扱いされることに絶望し、衝動的に犯行に及んだと思われます」
山狩り初日、裕太さんが懸命に母に呼びかけるも、香織は姿を現さない。山狩り4日目の朝のこと。香織は常磐線の駅近くで轢死体として発見された。
“不遇な嫁”に差しのべられる手があれば、運命は違ったかもしれない。
※年齢は事件当時
※女性セブン2026年2月12日号