
できることなら痛みを感じることなく人生を終えたい、自分らしく死にたい、最期は自宅で家族に看取られたい…そう願う人は多いだろう。しかし、少しでも間違えるとその願いは叶わない。それどころか、肉体的な痛みだけでなく、自分の尊厳が奪われる苦しみも味わうことさえある。いつかは必ず訪れる「死」を上手に迎える方法について、名医と看取りのプロフェッショナルに話を聞いた。【前後編の後編。前編から読む】
地元の評判にいちばん詳しいのは地元の訪問看護ステーション
なんの疾患もなく老衰で亡くなることが極めてまれなことである以上、痛くない死を迎えるには、理解のある医師と巡り会うことが欠かせない。めぐみ在宅クリニック院長の小澤竹俊さんが語る。
「特に終末期は本人の病状に合わない栄養を点滴やチューブで人工的に体内に入れたり、逆に本人が食べたいのに医師が安全の名のもとに安易に絶食させたりすることが多々あります。このような“患者の尊厳が奪われる苦しみ”は身体的な痛み以上に本人や家族にダメージを与えて、“これなら早く死んだ方がいい”と思わせてしまいかねない。痛みを感じることなく亡くなるためには、こうした医療機関を選ばないことが大切です」
そこで重要になるのが緩和ケア医や在宅医の選び方だ。早期緩和ケア大津秀一クリニック院長で緩和ケア医の大津秀一さんは「資格」と「実績」が判断材料のひとつと指摘する。
「最近、2年間の初期研修を終えた若手医師が直接、美容医療の道に進む『直美』が話題ですが、同様にすぐ在宅医になる『直在』が増えており、その中には経験不足が不安視される場合もあると指摘されています。
緩和ケア医の実績を有するのは、日本緩和医療学会の認定医や専門医の資格を持つ医師で、特に専門医はより豊富な緩和ケアの経験が必要です。また、緩和ケア病棟やホスピスといった専門性の高い医療部門に複数年の勤務経験がある医師も実績があるとみていいでしょう」

小澤さんは、“もっとも詳しい人たち”に問い合わせることをすすめる。特に自宅で最期を迎えたいと在宅医を選ぶ場合は入念なリサーチをしておこう。
「よくネットの口コミを頼りにする人がいますが、関係者が書き込むこともあり信用できません。地元の評判にいちばん詳しいのは地元の訪問看護ステーションなので、そこに電話をして患者の状態や家庭環境などを伝え、“この地域で在宅医療に適した信頼できる医師はいますか”とストレートに尋ねてみる。複数の訪問看護師に尋ねて同じ名が挙がる在宅医は信頼度が高いといえます」(小澤さん)
現在、都市部の大病院は緩和ケア病棟やホスピスを併設するケースが多く、患者の選択肢は豊富といえる。だが、地方の市民病院などには緩和ケア医が常駐しないケースが少なくない。在宅医療「やまと診療所」などを運営する医療法人社団焔理事長で医師の安井佑さんはこう語る。
「地方在住の場合、早めに緩和ケア医のいる病院を探し、地域の在宅医についても調べておきましょう。頼れる在宅医探しの目安となるのは自宅看取りの件数で、年間の看取りが50件を超えれば経験値が高い医師とみなせます」
ただし、緩和ケア医や在宅医の力量は肩書や経験だけでは測れない面もある。勤医協札幌病院総合診療科医師の舛森悠さんが語る。
「終末期の患者には医学的な正しさを追求するよりも、患者の望む生活をサポートする医師が適しています。また特定の部位しか診ない専門医より、全身を診る総合診療医が望ましい。チーム医療の一員として患者と真摯に向き合う姿勢も求められます」
選択を間違えると“苦しみを増やす医療”になることも
こうした条件に見合う医師と出会えたとしても、それだけではまだ足りない。
現在は医療の進歩によってかなりの割合で死に臨む際の痛みを緩和できることを知っておきたい。小澤さんがこう語る。
「どの病気が痛いか痛くないかを知ることも大切ですが、どんな病気になっても痛くなく過ごせる方法を知ることも大事です」
そこで病気や病状などに応じた痛みの軽減法を医師とともに模索しつつ、「どこまで医療を行うか」について考えることが求められる。現役の看護師で、『後悔しない死の迎え方』の著者である後閑(ごかん)愛実さんが語る。
「緩和ケアが進化しても、医療の選択を誤ると人は楽に死ねません。たとえば、回復の見込みが低い状態で延命治療を行うと、患者は点滴やチューブにつながれて身動きが取れない状態になり、生きるための医療が“苦しみを増やす医療”になりかねません。
どこまで医療をするか決めないまま突き進んで患者が苦しむ場面を、私は医療現場で何度も見てきました」
長く生きて、最期は医療の力を借りて安らかに亡くなるはずが、逆に医療によってボロボロになるまで生かされる。こうした事態を避けるには、事前に自分が望む医療やケアを家族と話し合う「人生会議」を開くことが求められる。
とはいえ、自分の病気や治療について事前に“未来予想図”を描いて家族と詳細に話し合うのは簡単ではないはずだ。
「だからこそ難しく考えず、最低限の話し合いをすればいいんです」
こうアドバイスするのは大津さんだ。
「いちばん困るのは、ご本人が急病や認知症などで自分の意思を表明できなくなることです。だから人生会議では万が一に備え、自分の代わりになる人を決めておくことがもっとも大切です。できればその人に対して、漠然とした内容でもいいので希望する亡くなり方を伝えておくことが望ましいです」(大津さん)

自分の代わりを誰にするかはその人の考え方次第。大津さんは、「遠くの長女より近くの次女」がうまくいったケースがあるという。
「老いた母親が3人娘のうちもっとも近くにいる次女を意思決定者に指名したケースで、母親が衰弱した際、次女が母親の意に沿うような方針を適切に決めました。ふだんよく見ていて変化がわかるというのは強みです。近くにいる次女は母親の状況をつぶさに見ていたため、その意思に沿った適切な判断を下すことができました。事前に母親が次女を指名し、家族間で共有していたためもめることもなく、最期は3姉妹で穏やかに母親を見送ることができて、ご本人も満足できたはずです」(大津さん)
がんの終末期などで在宅医療を開始して死が迫った際、必ず決めておきたいのが、いざというときに「救急車」を呼ぶかどうか。
「救急車を呼んだら、医療側は延命行為や蘇生行為をしなくてはなりません。実際に本人が家で穏やかに死にたいと望んでも、いざ死が間近に迫ると家族が動揺して救急車を呼んでしまい、搬送先で延命措置を施されて本人が長く苦しむケースがよくみられます。
なので、死が予想されたときはあらかじめ“救急車問題”をどうするか話し合って決めておき、いざというときはその決定に従うことが何より大切です」(舛森さん・以下同)
救急搬送の際、老体に心臓マッサージをして肋骨が折れたり、点滴で水分を入れることでむくんで呼吸がしづらくなることもある。
他方、終末期において、それまでのルールを柔軟に変えることも求められる。舛森さんの知るある父親は腎不全を患い、人生会議で塩分やたんぱく質などの食事制限を厳しくすることを決めた。しかし終末期になって死期が迫った際、本人にとって何がいちばん幸せかを父親と娘が話し合ってルールを変えたという。
「この父親は元ラーメン店主でラーメンが大好物でしたが、腎不全になり食べるのをやめていました。でもこれまでずっと食事制限をがんばってきたから最期は食べていいんじゃないかと娘が提案して、死の直前にラーメンを食べました。
私もその場にいましたが、父親がそれまで見たことのない幸せそうな笑顔を浮かべて食後にソフトクリームまで食べたことが忘れられません。医学的な正しさがすべてではないのだと思い知らされました」