
モデル・俳優のアンミカさんが「ずっと会いたかった人」をゲストに招き、軽やかに奥深く人生を語らう注目連載「アンミカのカラフル幸福論」。第13回ゲストは、中村獅童さん。
「同じ1972年生まれの獅童さんとはゆっくり話がしてみたかったんです! 出世作の映画『ピンポン』で獅童さんを見たときの衝撃はいまでも忘れられません。ロックな精神にあふれていて、父親としても公私ともに全力な獅童さんのパワーの源をお聞きしたいです!」(アンミカさん)
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獅童:アンミカさんには、まず謝らないと! 3、4年くらい前にハワイで会ったとき、初対面なのにグイグイ話しかけちゃって失礼しました。
アンミカ:とんでもない! ホテルで偶然居合わせたんですよね。スッピンでボーッとしていたのに気づいてくれてうれしかったわぁ(笑い)。
獅童:えっ、きれいだったし声も素敵だからすぐ気づいたよ。
アンミカ:いやぁ~、みんなにもそう言うといて~。
獅童:ははは。普段ならオフの場で突然話しかけたりしないんだけど、ぼくらは同じ1972年生まれで、前から親近感があったんですよ。
アンミカ それは私も! モデル業界の仲間には1972年生まれが少ないから、同じ年だと知って心の距離が一気に近づきました。それもあって、獅童さんのSNSを日々見るようになったら、本当に仲よしなご家族で。歌舞伎の世界では、親子でも厳しい師弟関係が当たり前だと思っていたので、オフの時間に全力でお子さんと遊ぶ獅童さんの姿はとても意外でした。
獅童:一昔前は、昭和の歌舞伎役者は年中出ずっぱりだったから、地方巡業から自宅へ帰ると「誰、このおじさん?」なんて、子供に言われたそうです。同年代の役者に聞くと、確かに父親に遊んでもらった思い出が全然ないみたい。
アンミカ:獅童さんはご家族でいろんな国に行ったり、キャンピングカーで旅したり、ここまで思い出を共有できる歌舞伎界の親子は珍しいんでしょうね。
獅童:どうだろうね。親として息子たちにやってあげている意識はなくて、ただ一緒に遊んでいるだけなんです。ぼくは一人っ子で兄弟が欲しかったから、趣味を分かち合える仲間ができた感覚かな。
アンミカ:喜びと仲のよさは伝わってくる! 奥さまから“三兄弟”と呼ばれているのも納得です。
獅童:フハハハ!
アンミカ:ちなみに獅童さんのお父さまはどういうかたでした?
獅童:父の初代獅童は子役の時分に歌舞伎役者を辞めたんです。稽古で弟たち(のちの萬屋錦之介さんと中村嘉葎雄さん)が大御所にひどく叱られたとき、それを見た父が怒って、その人にかつらを投げつけて飛び出しちゃった。それから二度と歌舞伎界に戻ってないので、ぼくにとっては銀行に勤めるサラリーマンの父でしたね。
アンミカ:獅童さんのお父さまが銀行員とは意外!そうなると親子で歌舞伎を見に行った記憶は?
獅童:歌舞伎は祖母(故・三代目中村時蔵さんの妻・小川ひなさん)と見に行ってました。親戚やいとこたちの舞台を見ているうちに自分もやりたくなって、日本舞踊や長唄のお稽古に通い始めたのが6才のとき。8才になって歌舞伎の初舞台を踏みました。
アンミカ:歌舞伎役者になりたいと打ち明けたとき、お父さまはどういう反応でした?
獅童:父は「おまえが歌舞伎をやるのは自由だ。でもおれはやめたから、何も手助けはしてあげられないよ」って。後ろ盾となる父親が歌舞伎の世界にいる、いないでは雲泥の差があるんですよ。親が大物なら、楽屋口を出れば子供のためにお迎えの車が待っている。かたや自分は定期券で地下鉄に乗って帰る。いただくお役も当然違う。そうやって、現実をじわじわと理解していくわけです。
アンミカ:お話を聞くと、映画『国宝』で吉沢亮さんが演じられた喜久雄の境遇と重ねてしまいます。
獅童:まさに。劇中の《親がないのは首がないのと同じ》というせりふは、そのまんま祖母からよく言われていました。
アンミカ:名門・萬屋の血筋で、いまでは主演を務めていらして。獅童さんは世間的には恵まれた環境でキャリアを重ねてこられたイメージがあるかもしれません。
獅童:実際は逆境でしたね。生半可に歌舞伎の血筋があるものだから、どこかへ弟子入りをするわけにもいかないし。おふくろの支えがなかったら、ぼくは初舞台すら立てなかったでしょうね。

表現の幅を学んだ母と見た芸術の数々
アンミカ:お父さまが歌舞伎の世界から離れられたことでお母さまは、いわゆる「梨園の妻」とはまた違うお立場なわけですよね。
獅童:右も左もわからず、大変な苦労をかけたと思います。歌舞伎の楽屋では鏡台や座布団などの道具は全部自前なんです。でも付き人やお弟子さんはいませんし、ぼくもまだ子供で自分では運べない。母しか動く人がいないわけです。弁当作りなど身の回りの世話を一手に引き受け、化粧の仕方がわからなければ、兄さんがたに頭を下げて教えを請う。一つひとつ、おふくろが道を開いてくれました。
アンミカ:母親のそれほどの愛に触れたら、奮い立ちますね。
獅童:逆境に立ち向かう原動力になりました。19才のときに、ある人から「獅童さんは親が歌舞伎役者じゃないから、主役をとるのは難しいですよ」と、きっぱり言われたんですよ。
アンミカ:なんてシビアな…。
獅童:賢い人間なら、そう言われたら就職するなり別の道を探したかもしれない。でも、ぼくはバカになれたんです。当たり前の運命を選ばず、無理なことを実現させて自分で運命を作ってやろうと決めて。「親父が歌舞伎役者じゃないから、こんな役しかもらえないんだ」って言うような大人になりたくなかったの。
アンミカ:ひたむきに自分を信じることで何かを乗り越えるパワーが得られますよね。
獅童:そう。常に自分を信じながらも、最大のライバルは自分だと思ってもがいてきましたね。
アンミカ:後ろ盾がない大変な環境では、その芯の強さが武器にもなったでしょうね。
獅童:無謀だってなんだっていいんですよ。若い子にも「時にはバカになれ」と言っています。何事もあきらめずに信念を貫くことが大事だよって。
アンミカ:そういう言葉をかけてもらえるお弟子さんは幸せ者ですね。獅童さんが信じる道を進まれる中で光となった、忘れられない言葉はありましたか。
獅童:やっぱり(中村)勘三郎兄さんの言葉は響きましたね。端役で奮闘するぼくに声をかけてくださったのが、勘三郎さん(当時・勘九郎)。22才だったぼくは『若き日の信長』という新作歌舞伎で軍兵の役でした。目立たない群衆の一人だけど、役作りとして鎧櫃を重そうに運んだんです。
アンミカ:それほど重たいものではなかったのに。
獅童:実際は軽かったですよ。そうしたら秀吉役の勘三郎兄さんがぼくの肩をグッとつかんで「いいよ、あなた。その気持ちを忘れちゃだめだよ」って。その一言がどれだけ救いになったか。手を抜いたら一生ここから這い上がれないと必死な時期でしたから。
アンミカ:努力していれば、必ず見ていてくれる人がいるんですね。
獅童:それを機にご一緒させていただくようになって、あるとき、勘三郎兄さんの行きつけの店で一緒に飲んでいたら末席にいたぼくを呼んで、「この人いまに天下取るからね」と。諸先輩がたが冗談だと思って笑ったら、「いま笑った人、全員追い抜かれるからね」ってピシッと言ってくださって。うれしかったですね。
アンミカ:真摯に芸と向き合う情熱が勘三郎さんの目に留まったんですね。バーチャルシンガー・初音ミクとコラボした『超歌舞伎』もそうですが、歌舞伎の伝統と最先端技術の融合など、獅童さんは表現への熱意が人一倍あふれていますよね。
獅童 その多面性はおふくろの影響ですね。小さい頃から、現代劇や唐十郎さんの紅テント芝居、そして幕間にストリップショーがある大衆演劇まで、あらゆる舞台を見せてくれたんです。ぼくが歌舞伎に興味があるもんだから、「世の中にはこれだけの芸術があるんだよ。歌舞伎だけが偉いんじゃない。みんな同じ表現者なのよ」と話してくれてね。ストリップショーも、お姉さんたちが一生懸命踊ると汗が照明でキラキラ輝くの。見終わると、おふくろはぼくに「舞台を見てどう思うの?」と必ず意見を求めてきました。
アンミカ:「子供にはまだ早い!」とならず、お母さまは獅童さんの感性を信頼して、表現者の道を進む人として接したのでしょうね。
獅童:いま、ぼくが息子たちにプロレスや音楽、ファッションなど自分が好きなあらゆるものに触れさせているのも、おふくろと同じように「どれも芸術で、すべてが表現なんだよ」と伝えたいからなんです。なので、息子たちにとっても、ぼくの母は大きな影響を与えていると思います。

一門の思いを継ぐ特別な六月大歌舞伎
獅童:やっぱさ、アンミカさんの声っていいよね。自然と入ってくるんだよね。タモリさんの声を聞いているときと似た感覚になるから、対談のMC、すごく向いていると思います。その声のおかげで、今日いろいろ話しちゃってるもん。
アンミカ:声って親から受け継いだ骨格によって形成されるものだから、それを褒められるのって、いちばんうれしいんです。ありがとうございます!さて話を戻しますが、『六月大歌舞伎』の舞台は息子さんたちと立たれますね。
獅童:この六月大歌舞伎はぼくたち小川家にとって、特別な意味のある“お祭り”なんです。かつては毎年6月になると歌舞伎座で萬屋一門の興行を行っていて、祖母と母が張り切っている姿は子供の頃からこの時期の風物詩。銀幕のスターだった錦之介の叔父が歌舞伎座に立って『宮本武蔵』の時代劇をやり、嘉葎雄の叔父が落語を題材にした演目をやって、もちろん古典歌舞伎もやるっていう、なんでもありの興行だったんです。
アンミカ:聞くだけでわくわくしてきます!
獅童:ただ、ぼくがこれからというときに屋台骨だった祖母が亡くなり、この興行が途絶えてしまった。実は小川家って歌舞伎界でいちばん人数が多く、実力のあるいい役者も揃っています。錦之介の叔父ほど立派じゃなくても、ぼくなりに祖母の思いを引き継いで復活させたいと願って、一昨年ようやく実現することができたんです。
アンミカ:息子さんたちが襲名公演で初舞台を踏まれたのもそのときでしたね。
獅童:それだけ6月が大事なんですよ。一門のお祭りを再び今年、歌舞伎座でやらせていただきます。親子で錦之介の叔父の代表作『子連れ狼』ができたらなって。
アンミカ:しとしとぴっちゃん♪よね。テレビで見ていたなぁ。
獅童:そうそう。子役は次男の夏幹がいいなと思って。「普段から大五郎カットにするんだよ」と話したら、「絶対いやだ」って拒否されました(笑い)。
アンミカ:あははは。10代の頃に、「主役は無理だ」と言われた獅童さんが、いまでは興行を主催する側に。無理なことを実現させる運命をつかみましたね。
獅童:格好つけるつもりはないんだけど、常に自分をライバルだと思いながら、自分自身で運命を切り開くために動いてきた。ほら、ずっと自分自分自分でしょ。でも、50才を過ぎたとき、今後は萬屋一門だったり、祖母だったり、この世にぼくが誕生した意味があるとしたら、いろんなことに恩返ししたいと思うようになったんだよね。
アンミカ:自己実現の先には恩返しが待っていたんですね。しかも、現状維持じゃなくて、常に革新的で。毎年6月が来るのが楽しみになってきました!
(次号、後編へ続く)
中村獅童さんのHLLSPD
Happy、Lucky、Love、Smile、Peace、Dreamについて答えてもらいました。今回はHappy、Lucky、Loveについて直撃!
Happy:何をしているときが幸せですか?
芝居をしているとき。
Lucky:小さなことでも「ラッキー!」と思ったことは?
旅行のときは、雨期の海外旅行でも99%晴れること
Love:あなたが好きな言葉は?
伝統と革新。
俳優人生の転機『ピンポン』の秘話から、家族の在り方まで、後編も読み応えたっぷりでお届け!
◆モデル・俳優・アンミカ
アン ミカ/1972年生まれ。1993年パリコレ初参加。モデル業以外にもテレビ・ラジオMC、俳優、歌手、テレビCM出演と多彩に活躍。「日本化粧品検定1級」など20個以上の資格を生かし、化粧品、洋服、ジュエリーなどをプロデュース。
◆俳優・中村獅童
なかむら しどう/1972年生まれ。8才で二代目中村獅童を名乗り初舞台。歌舞伎のほか、映画『ピンポン』で日本アカデミー賞新人俳優賞受賞。以降、映画、ドラマ、現代劇と幅広く活躍。6月3~25日、歌舞伎座で上演される『六月大歌舞伎』に親子で出演。
撮影:田中智久 構成:渡部美也 衣装:トップス/チェルキ スカート/リビアナコンティ ピアス、ベルト/ともにアビステ(アンミカさん)
※女性セブン2026年5月7・14日号