
東京・大田区の坂のふもとにたたずむ日蓮宗の古刹。6月下旬にこの世を去った美輪明宏さん(享年91、本名・丸山明宏)が、室町時代に開創されたその寺に先祖累代の墓を建てたのは1990年のことだった。
「墓誌にはただひとり、美輪さんの寵愛を一身に受けた最愛の“息子”Aさんの名前が刻まれています。Aさんは30代の若さで急逝したシャンソン歌手。血のつながりはないものの、美輪さんは『前世では私の子供だった』と公言してはばからず、公私で彼に深い愛情を注いでいました」(美輪さんの知人)
施設育ちで身寄りのなかったA氏のために美輪さんは寺に頼み込み、家名である丸山家の墓を建てたという。
「当時から美輪さんもAさんと同じ墓に入ることを決めていたようです。昨年、体調を崩すまで毎月の墓参りを欠かさず、お墓の前でよく『南無妙法蓮華経』とお題目を唱えていました。最後には必ず笑顔で天国のAさんに語りかけていたそうです」(前出・美輪さんの知人)
美輪さんは生前、「死というものはないんです。ただ肉体がなくなるだけ」と独特な死生観を明かしていた。一方で、数年前から人生の締めくくりに向けて少しずつ生前整理を進めていたという。
「自宅とは別に東京・新宿区に所有していたマンションを売却し、コロナ禍と前後して故郷・長崎の菩提寺にある父方の墓の永代供養を済ませていました。4年ほど前から神経科の病院に通い、ひとりで歩くことが困難になってからは仕事をセーブし、家から一歩も出ずに療養に努めていたそうです」(芸能関係者)
自宅のすぐ隣に彼の家を建てた
プライベートでは三島由紀夫さんや俳優の赤木圭一郎さん、田宮二郎さんらとの恋路がマスコミを騒がせたが、美輪さんは「恋をしたことは何百遍もある」と煙に巻き、真相は判然とはしなかった。一方で、本当に愛したのは「5人だけ」だと語ったこともある。
「少なくとも、Aさんへの愛は本物だったと思います」と言うのは、2人をよく知る興行関係者だ。
「もともとは雪の中で行き倒れていたAさんを助けたことが出会いのきっかけ。美輪さんは『才能があって魂がきれいなのに、生き方が不器用なために行き詰まっているかたがいると黙っていられない』と話していました。恋愛感情は否定していましたが、Aさんのためにできることはすべてやってあげたいと言い、彼が亡くなったときは周囲が心配するほど憔悴し、活動を再開するまでに何年もの時間を要したほどです」(前出・興行関係者)

美輪さんに最期まで寄り添った所属事務所の社長、B氏にも“無償の愛”を惜しまなかった。
「美輪さんより17才年下のBさんは文学座の元研究生で、10代の頃から美輪さんの付き人として働いていました。美輪さんは仕事の細かいことから身の回りの世話まで、すべてをBさんに託し『彼がいなければうちの事務所は回らない』と言って、全幅の信頼を寄せていました。長年の恩に報いるために美輪さんはBさんと養子縁組し、自宅のすぐ隣の土地に彼のために家を建てたそうです」(前出・興行関係者)
生前、美輪さんが頭を悩ませていたことのひとつが莫大な資産の相続だ。知人には「(相続税を)55%ももっていかれるのよ!」とぼやいたこともあったという。前出の美輪さんの知人が語る。
「美輪さんは一度も裏切ることなく、自分に尽くしてくれたBさんに心から感謝していました。ほかに親しい親族のいない美輪さんが財産を誰かに譲ることを考えたときに、Bさんを念頭に置くのは当然のこと。美輪さんは血縁以上に、報恩や筋を通すことに強いこだわりを持っていました」
愛の伝道師と呼ばれた美輪さんが最後に残したメッセージは反戦への思いだった。
《こんな世の中を生き抜く武器は、愛の言葉しかありません。この世のすべての問題を解く鍵は愛です。愛があれば戦争なんか起こりません》
自宅でB氏に見守られながら、美輪さんはただ一言「ありがとう」と告げて静かに目を閉じたという。
※女性セブン2026年7月23日号