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【追悼】岸恵子さん、鶴田浩二さんとの伝説的な初恋も…「恋に彩られた93年の生涯」と「宝物として愛した“孤独”」

8月7日に老衰で亡くなった岸恵子さん
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 女優・ジャーナリスト・文筆家と3つの顔を持った岸惠子さんが、8月7日に老衰で亡くなった。93才だった。1951年に銀幕デビューし、日本映画の黄金期にトップ女優として活躍した岸さん。パリに春を告げる花を愛で、思い出の生家で過ごした晩年はひとりの時間を謳歌した。恋に彩られた93年の生涯を詳報する。【前後編の後編】

当時10才の娘が気づいた元夫の異変

 1953年から1954年に3部作が製作された佐田啓二さんとの主演映画『君の名は』が大ヒットし、一躍トップスターの仲間入りを果たした岸さんは、その後も名だたる作品で存在感を発揮。デヴィッド・リーン監督ら海外の巨匠からも熱烈なオファーを受け、国際派女優としての地位を確立した。

「1957年には主演作の日仏合作映画『忘れえぬ慕情』を手がけたイヴ・シァンピ監督(享年61)と結婚し、川端康成氏の立ち会いのもとフランスで華やかな式を挙げました。まだ海外渡航が自由化されていなかった時代に、日仏を頻繁に行き来する岸さんは“空飛ぶマダム”と呼ばれていたそうです。1963年に一人娘を出産してからは育児のために生活の軸足をフランスに移し、1976年に離婚した後も、パリのセーヌ川に浮かぶサン・ルイ島の一画に築400年を超える瀟酒な自宅を構えていました」(映画関係者)

 離婚原因のひとつは、岸さんの不在時に家に入り込んだある女性の存在だったとされる。岸さんはのちにシァンピ監督は「浮気をするような人ではなかった」と振り返っているが、2021年に上梓した自伝では当時の経緯をこう明かしている。

空飛ぶマダムといわれた当時の岸さん。愛娘の麻衣子さんを抱いて
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《彼女が夫と特別な関係になるなんて考えもしなかった。(中略)それを見抜いたのは当時十歳の娘だった。田舎の家にまで入り込む彼女に我慢が出来ず、撮影が終わってスタッフも夫もパリへ引き上げた日の夕暮れ、娘は忽然と姿を消したのだった》(『岸惠子自伝 ─卵を割らなければ、オムレツは食べられない』岩波書店)

 長い別居期間を経て、離婚が成立した後も岸さんが日本に帰ることはなかった。当時の法律ではフランスで生まれた長女に日本国籍が認められなかったためだ。

「娘さんの親権は岸さんが持ち、フランスで子育てをしながら仕事のオファーがあれば帰国する生活を続けていました。そんなときに、日本のマスコミに騒がれたのが、映画で共演した萩原健一さんや小田実さんとの関係です。もっとも、岸さんにしてみれば18才年下の萩原さんは弟のような存在。岸さんのお母さんが亡くなったときに、萩原さんが真っ先に駆けつけてくれたことに感謝していたそうです」(芸能関係者)

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