社会

【実録・昭和事件史】血まみれの嫁が路上へ脱出 1977年・神戸で起きた「79才姑の放火・襲撃事件」泥沼のいびりと奪われた自宅

火事
警察は放火自殺と断定した。(写真はイメージ)(写真/PIXTA)
写真1枚

古今東西、家族関係の悩みはなくならず、とりわけ嫁姑問題は時代が変わってもなお永遠だ。実際の事件を紐解くと、深い憎しみが、一線を越えてしまう悲劇が明らかに──。

1977年11月3日の深夜。兵庫県神戸市内の家から煙が立ち上った。赤い炎が白壁を突き破り、噴き出す。近隣住民が騒然となる中、その家から後藤美代さん(仮名・52才)が全身血まみれで路上に飛び出してきた。大柄な美代さんの異様な姿を目にした住民たちは、後藤家で何が起きたのかわからず、恐怖と混乱の渦に──。

「美代さんが血まみれだったのは火事から逃げる際に負ったけがではなく、姑のタキ(仮名・79才)によって刺されたのが原因でした。タキは果物ナイフで美代さんを襲いましたが、炎が広がる中で美代さんはナイフをタキからもぎ取り、外へと脱出したのです。刺し傷は幸いにも内臓に到達せず、美代さんは一命を取り留めました」(当時を知る地元関係者・以下同)

美代さんはタキの息子で公務員の夫・一朗さん(仮名・54才)とタキとともに、火元となった家で同居していた。

「その同居生活の中で、美代さんはタキに日常的ないびりを繰り返していたそうです。積もり積もった恨みを晴らすためタキは美代さんを襲撃し、自宅に火を放ちました」

嫁の仕打ちを耐えられるところまで耐えてみせる

タキは一朗さんが3才のときに夫を亡くした。それ以降、女手一つで息子を育て、助産師として懸命に働き、自分の城である家を買えるまでになった。

そんな苦労を乗り越えた後藤家に美代さんが嫁いできたのは1945年のこと。“タキの城”で同居することになったものの、嫁姑ともに気が強く、一朗さんが不在のときは必ず衝突するため、同居生活は数年で解消された。

「その後、タキは仕事をしながら20年以上ひとりで暮らしていましたが、事件の数年前に肝硬変を発症し、入院することになりました。その間、タキに思わぬ出来事が降りかかりました。なんと、息子夫婦がタキの自宅を勝手に売却し、同居しようと提案してきた。タキにとっては寝耳に水でした」

実際、売却から間もない1972年に、今回の事件の舞台となった息子夫婦の家が改築され、タキの同居用の部屋が用意された。そして、同居からほどなくして美代さんによる姑いびりが始まる。

「朝食は食パン1枚だけ、夕食は一握りの白米だけの日もあったといいます。美代さんが不在のときは帰宅するまで家から締め出されるなど、姑いびりは近所でも話題になるほど苛烈だったようです。

タキが参加していた老人会の友人らはたびたびタキに声を掛けていましたが、“泥沼にいるときは、もがけばもがくほど埋まってしまう。私は嫁の仕打ちを耐えられるところまで耐えてみせる”と話したこともあったとか」

ついにがまんの限界が来たタキが事件を起こすも、体格で勝る美代さんにナイフを奪われ、“復讐”は遂げられなかった。「一朗を殺して私も死ぬ」とタキはつぶやいたというが、騒ぎに気づいた一朗さんは脱出。

タキは燃えさかる家に残り、この世を去った。

※年齢は事件当時。

※女性セブン2026年10月1・8日号