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《哀悼 倉本聰さん》北の国で過ごした最期の日々 指先に激痛が走り,自由が利かなくなっても「ぼくの手先には脳みそがある」と自分の手で原稿を書き続けた

荒れ果てた森が残る富良野に移り住んだ

 倉本さんは1935年、東京・代々木生まれ。出版社を経営し民俗学の柳田國男や植物学の牧野富太郎らと親交があった厳格な父から受けた教育が、のちの倉本作品の骨格になった。

 東京大学文学部美学科を卒業後、ニッポン放送に入社。仕事の傍らペンネームで脚本を書き始め、1963年に独立した。しかし1974年のNHK大河ドラマ『勝海舟』でスタッフと激しく衝突し脚本を途中降板、テレビ業界を干されてしまう。

「敗れた人間が北へ行くのを“敗北”と言う」と自嘲しながら、身ひとつで札幌へ向かったが仕事がなく、トラックの運転手に転職することも考えていたという。

 東京に残してきた妻から「貯金が7万円しか残ってない」と告げられた頃に、救いの手を差し伸べたのがフジテレビだった。

「札幌の宿やマンションにこもって、偽名で書いた『6羽のかもめ』の脚本が評判を呼び、次々に仕事が舞い込むようになったそうです。取材のために知内町出身の演歌歌手・北島三郎さんの付き人をしたことも転機となって北海道に本格的に移住することを決意。1977年に荒れ果てた森が残る富良野に移り住みました」(芸能関係者)

『北の国から 2002遺言』の試写会で集合した黒板親子(左から吉岡、田中さん、中嶋)
写真4枚

 富良野で郷土料理店「くまげら」を経営する森本毅さん(84才)が述懐する。

「最初は何をしている人か知らなかったけど、物書きだと知ってからは、富良野を有名にしてもらうために町中を引きずり回しました。ラベンダー畑や山菜採りに連れて行くと、東京育ちの倉本さんは目を輝かせて面白がってね。地元の農家の人が名前も告げず、玄関先にメロンを山積みにして置いて行ったことにもえらく感動していました。

 地元の人間は富良野の景色がきれいだなんて思ったこともなかったけど、倉本さんがドラマにしてくれたことで、初めてこの町の美しさに気づかされた。倉本さんがいなければ、いまの富良野は絶対にありませんよ」

 1981年に放送が始まった『北の国から』は、東京から故郷の富良野に戻った黒板五郎(田中邦衛さん)と純(吉岡秀隆)、螢(中嶋朋子)の姿を通じて、自然の厳しさや人間の弱さ、家族の再生を描いた大作シリーズ。最終作の『2002遺言』までに連続ドラマ全24話と、8本のスペシャルドラマが制作された。

 1984年には私財を投じて前述の「富良野塾」を開設。受講料を一切取らず、塾生と共に畑を耕し、共同生活を通じて俳優やシナリオライターを育てたことも話題を呼んだ。

 倉本さんが追求したのは「嘘のない表現」だった。前出の久保さんが振り返る。

「嘘っぽい演技を何よりも嫌っていました。『役者は小細工をするかもしれないが、役の人物は小細工なんかしないだろう!』と言って、その場面をちゃんと生きることを指導するんです。ひとつのシーンだけで丸一日稽古が続くこともありましたね。大きな感動を作ろうとするのではなく、“ケチな感動でもいいから、それを見つけられる創作者になれ”というのが、先生の教えでした」

二宮和也は「もう怒ってくれないのか……寂しいな」

 倉本さんから薫陶を受け、いまもその教えを大切にしている俳優は少なくない。幼少期から倉本さんと多くの時間を過ごした吉岡秀隆は公式ホームページで「倉本先生と出会えたこと、神様に感謝します」と、短い言葉に万感を込めた。

『優しい時間』と『拝啓、父上様』(ともにフジテレビ系)に起用され、倉本さんに演技力を認められた二宮和也はこうコメントした。

「最後は静かにそっと……という倉本さんの作品がその生き方が大好きです。それを見事にやってのけた倉本さんは、やはり凄い。ご冥福をお祈りします。でも、もう怒られないはずなのに、なんでだろう? 寂しいな 嬉しいはずなのに、寂しいな もう怒ってくれないのか……寂しいな」

 20代の頃から倉本作品に出演し、代表作の1つ『風のガーデン』(フジテレビ系)で主演を務めた中井貴一はブログで悼んだ。

《向田邦子さん、山田太一さん、そして倉本聰さん。企業のCMを流すために作られたテレビという箱を、一週が待ちきれないほど質の高い、物語を見せる箱に変えていった巨星達。(中略)晩年は、大好きなタバコも止められ、療養をなさっていらしたとか。天の上が、全面禁煙かどうかはわかりかねますが、喫煙所を見つけて、大好きな一服を、気兼ねなく楽しまれてください》

 晩年の倉本さんは高齢者のリアルな生と死を描いた『やすらぎの郷』と『やすらぎの刻〜道』(ともにテレビ朝日系)を世に送り、『北の国から』のアニメ化構想や、自身の死生観を投影した新作ドラマの執筆にも取り掛かっていたという。

 テレビが失いかけた「骨太の人間ドラマ」と「生きる知恵」を残し、希代の劇作家は北の大地から静かに旅立った。残された言葉と作品は、これからも多くの人の心を揺さぶり続けるだろう。

※女性セブン2026年10月22日号

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