ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(64歳)が、“アラ還”で感じたニュースな日々を綴る。
8月から、茨城の実家で93歳「母ちゃん」の介護をしているオバ記者。要介護5の母ちゃんは、今では外を歩けるまで回復しました。それでも、オバ記者は田舎暮らしがつらくなってきたといいます。なぜでしょうか。オバ記者が綴ります。
* * *
母ちゃんの体調はどんどん回復
4か月前に倒れて危篤になった母ちゃんが、2か月の入院中はほぼ意識不明状態。夜中にうわ言を叫んでいて、担当のU医師の口ぶりではほぼ回復の見込みはなかった。「ご自宅に帰られるのは良い選択だと思いますよ」と言い、退院するにあたって医療関係者が全員集まっての申し送り、カンファレンスでは、私もかなり参っていたもんね。
「どうなったら救急車を呼べばいいんですか? てか、はっきり言って、人は“いよいよ”になったらどうなるんですか?」と聞いた覚えがある。
あれから2か月。夏がゆき、秋が来たと思ったら、母ちゃんの体調はどんどん、どんどん良くなって今、私の仕事は朝晩のご飯の用意と、ポータブルトイレの片付けと、身の回りの世話。
私のやることなすこと“注文”をつけるように
今月から週に2回、朝9時から午後4時まで預かってくれるデイサービスに通いだしたの。お風呂に入れてくれて、リハビリや遊戯もして、初日はちょっとぐずったけど、2回目のこの日は朝から行く気満々だ。
それはとても喜ばしいことだけど、なにせ本人、元気で暇だから、私のやることなすこと、気になって仕方がないんだよね。
「はあ(もう)、寝ろ」くらいはまだいい。「はあ(もう)、ご飯にすっぺ」と午後5時前に、せんべいをポリポリ食べながら何度も。かと思えば、「はあ(もう)、そこの電気消せ」だの「はあ(もう)、薬をしまっとげ」って、私の監視人か?
母ちゃんのことだけじゃない。なんか田舎暮らしがだんだんつらくなってきたの。なにせ母ちゃんの世代には、早朝、他人の家に上がり込み、布団をゆらして「まだ寝でんのか。○○持ってきてやったがら、はあ、起きろ」と叩き起こすことがアリの人もいるの。
私もそれに近いことをやられたあげく、「あれ~、太ったなや。なんだ、うまいもんばっかり食ってんだっぺ」と、こう言われた。思えば帰省介護をしたこの2か月間、すっかり自分のことを忘れてたんだよね。体重計に乗らない、鏡を見ない、もちろん化粧もしない。
早朝ウォーキングで思い浮かぶのは…
で、ようやく母ちゃんの状態が安定してきたので早朝ウォーキングをすることにしたの。とりあえず毎日1時間1週間!
小さな志をたてて、早朝ウォーキング2日目のこと。歩き出したとたん、むしゃくしゃがこみ上げてきた。前の晩、よく眠れなかったこともあるけれど、それだけじゃない。
最近、周囲で起こるさまざまなことが気になって仕方がないのよ。歩きながらもムカつくったらない。
歩け歩け。
母ちゃんを見舞いに来た90歳過ぎた友達に「接待はできないよ」と言ってはねのけたの私。
歩け歩け。
茨城弁は話せるけれど、46年離れているうちに茨城人かどうかわからなくなっている私。
歩け歩け。
それにしてもなんでこんなことしているんだ?
歩け歩け。
朝露に濡れた足元の草を蹴飛ばしそうになりながら、歩け歩け。
孝行娘、くそくらえ!
母ちゃんを追い込むようなことはしたくないけれど…
その苛立ちも翌朝にはやや収まって、静まりかえった町中を歩けば、古い城下町だから、長屋門をかまえた、時代劇に出て来るような家があちこちにあるのよ。
田舎ならではのものが落ちている。鳥が鳴いて、稲穂が揺れて、そんな自然の営みに慰められるんだけどね。
しかし介護ってこんなに孤独だとは思わなかった。私には全力で手伝ってくれる弟夫婦がいるけれど、それでも自宅介護引き受け人は私。母ちゃんの命を背負っているのは私。
深夜、母ちゃんがポータブルトイレを使う音を背中で聞いていると、それが積もり積もるとたまらなくなるんだわ。そんな気持ちを母ちゃんにはチラッとも見せられない。私に面倒をかけていると、すごく気にしているし、母ちゃんを追い込むようなことはしたくないしね。
「おや、どちらさんですか?」
最近、母ちゃんは買い物から帰った私に、ボケたふりをしてこんなことを言い出したの。そして「あはは」と笑うから、つられて笑う私。
笑ったり怒ったりしんみりしたり、ジェットコースター状態で、とっても不安定。そんな日々はしばらく続きそうだ。
◆ライター・オバ記者(野原広子)
1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。
●【268】元気になった母ちゃん…でも増えた“指図”にどう対処すべきか