春の訪れとともに、まもなく卒業式の季節を迎えます。1980年代〜1990年代のエンタメ事情に詳しいライターの田中稲さんが春風に吹かれて考えたのは、初々しい制服姿の男女の間で展開されてきた“恋のイベント”について。古き良き「第2ボタン文化」について考察します。
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制服のボタンはあくまでも「記念」問題
卒業シーズン突入である。春の風も察しているようで、3月に入ってから急に、暖かくやさしく吹いている。「おめでとう、旅立ちのときだね!」と言ってるようだ。
さて、この時期になると思い出すのが「卒業式で好きな人から第2ボタンをもらう」という文化についてである。懐かしい……。今では第2ボタン文化はどういう位置づけなのだろうか。昔の古き風習? それともSNSで再ブームが来てる? 来ていたら甘酸っぱいなあ。
80年代の卒業ソングでは、ボタンは素晴らしい小道具として活用されている。斉藤由貴さんの『卒業』、柏原芳恵さんの『春なのに』は有名だろう。
これらを聴いて痛感するのが、ボタンが手に入ったとて、イコール両想いとは限らないのだなあということだ。それどころか逆に、ボタンが手に入った瞬間、気持ちにケリがつくみたいなイメージもある。
『春なのに』のヒロインが顕著な例だ。「ボタンを下さい」と言ってはいるが、もらったのち、彼女は空に投げ捨てる覚悟のようだ。そのヤケッパチの心境。この歌のボタンは「お別れはいやだけど、ここでもうさよなら! いやだけど!」という旅立ちのスイッチなのである。
斉藤由貴さんの『卒業』に登場するヒロインは、そもそもボタンの風習に否定的だ。後輩から「せんぱーい、ボタン下さい」と言われ鼻の下を伸ばしている同級生の男の子を横目で見て、きっとため息なんてついている。
私はなぜかこの歌から、すさまじいモテ女子臭を感じる。学年でもトップ人気の男子に「さすがに僕の第2ボタンはもらってくれるよね?」などと差し出され、大勢が見守る前で「やめて。思い出を残すのは心だけでじゅうぶん」と静かに言い放ち、桜の花びらが降るなか去っていく——。慌てて追いかける男の子。卒業後もアプローチしまくり、結局カップルになるところまで想像できる(個人の妄想です)。
私が感情移入できるのは、断然「春なのに」系女子なのだが。平松愛理さんの『素敵なルネッサンス』にもボタンだけじゃ恋と呼べない、というくだりもある。
ボタンの立ち位置、なかなか複雑である。