ドラマスタイリストとして『ギフト』『セカンドバージン』『のだめカンタービレ』『七人の秘書』など、およそ200もの作品に携わった西ゆり子さん(71歳)。20代で雑誌や広告からテレビの分野に活動を広げ、テレビ業界でのスタイリストの草分け的存在になった彼女はどうやってチャンスをつかみ、人生を切り開いてきたのでしょう。著書『ドラマスタイリスト西ゆり子の 服を変えれば、人生が変わる』(主婦と生活社)も話題の西さんに、これまでの道のりと、いくつになってもいきいきと過ごす秘訣を語ってもらいました。【全5回の第1回】
幼い頃から大好きだった“服”を仕事に
71歳になる今も現役でテレビドラマや映画の衣装を中心に活躍している、スタイリスト歴45年以上の西さん。大雨の中、自分で車を運転して颯爽と現れた姿は、年齢を感じさせない。ハキハキと歯切れがいいのに語り口は上品。温かい笑顔と相まって魅力のある人柄が伝わってくる。歩くときも背筋を伸ばしていて、姿勢はとてもキレイだ。
そんな西さんは物心がついた頃から 着る物に人一倍関心のある子供だったという。
「生まれ育ったのが東京の下町・赤羽の商店街でチャキチャキの江戸っ子。とにかく子供の頃からおしゃれが大好きだったの。商店街をおしゃれして歩くと『粋だね』と店先から声がかかるのがうれしくて。小学校のときには、生意気にも自分で選んだ生地とデザインで裁縫が得意な叔母にワンピースを作ってもらったりしていました」(西さん・ 以下同)
チャンスをつかむには即断即決
ファッションにのめりこんでいった西さんは、20歳のときに『anan』の記事を見てスタイリストという職業があることを知る。おしゃれには自信があったが、洋裁は得意ではなかった西さん。手先があまり器用じゃない自分には服を「縫う」のも「デザインする」のも向いていないと思い、ファッション関係の仕事につくのはあきらめてグラフィックデザインの専門学校に通っていた。ところが、スタイリストは服を選んで用意する仕事と知り、 瞬間的に「この仕事をやるしかない!」とひきめき、奮起する。
スタイリストとしての初仕事
思い立ったはいいが、どうしたらスタイリストになれるかわからなかった西さんに転機が訪れたのは、チャンスを探してファッション業界に近いモデルクラブで働いていたとき。職場にきていたスタイリストが、西さんをプロのスタイリストだと勘違いして仕事を紹介したのだ。
「そのときは何の経験もないドシロウトだったけど、『いいですよ!』と引き受けたの。若いというのは怖いもの知らずよね。急いで名刺を手作りして、好きだったメーカーに服を借りて現場で提案したら、OKをもらいました。これがスタイリストとしての初仕事。24歳のときでした。そのあとも、声をかけてもらえるようになりました。
スタイリストとして歩き始めた後も、最初はわからないことだらけで苦労の連続。雑誌の編集会議ではファッション用語が飛び交い、ちんぷんかんぷんでしたが、自信たっぷりに答えてから必死で意味を調べて理解して、何食わぬ顔で服を提案する。その繰り返しで知識と経験を増やしていきました」