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経営未経験の主婦から社長になった諏訪貴子さん、「“第2の人生”に向けて何かを始めるのに遅すぎることはない」

諏訪貴子さん
経営未経験の主婦から社長になった諏訪貴子さん
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中小製造業が集まる東京・大田区の町工場の切削研磨加工を専門とするダイヤ精機代表取締役社長の諏訪貴子さん(51歳)は、2004年に急逝した父親を継いで、32歳で主婦から2代目社長に就任。町工場という男性が多い職場で会社の経営を立て直した諏訪さんは、今年で社長就任18年目を迎えました。いまや政府の「新しい資本主義実現会議」のメンバーにも選ばれ、日本郵政の社外取締役を務めるなど活躍の場を広げています。そんな諏訪さんに、“歳を重ねながら前向きに生きる術”をうかがうインタビュー。最終回となる今回は、普段の生活にも生かせる考え方のヒントを教えてもらいました。【第1回はこちら】

成績が落ちると、父に「自分に負けた」と怒られた

30代で社長に就任し、幾多の試練を乗り越えてきた諏訪さんは、失敗しても後ろを振り返らずに常に前を見て歩いてきた。諏訪さんが持つ精神力の強さには、父親の教育も大きく影響している。

「父から怒られた記憶はほぼありませんが、一度だけすごく叱られたことがありました。中学生の頃、塾の成績が下がって一番上のクラスから2番目のクラスに落ちてしまったんです。友達もいるので、悔しいし恥ずかしいから塾に行きたくなくて、泣いて帰宅したことがありました。そのとき、なぐさめてくれると思った父から『なぜお前が泣くんだ』と怒鳴られたんです」(諏訪さん・以下同)

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諏訪さんが持つ精神力の強さには、父親の教育も大きく影響
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諏訪さんは、父親から「2番目のクラスになったのは、お前の努力が足りなくて自分に負けた結果。人と比べて悔しがるのはおかしい」と指摘された。そこから悔しいという気持ちを持たなくなったという。

「成功した人がいても、彼女は私より頑張ったからだと思えるようになりました。人と比較してうらやんだりねたんだりせずに、純粋にたたえることができるようになったのは、父のおかげだと思っています」

肩書を忘れる時間を大切にする

社長の仕事に休日はない。平日は朝から夕方まで会社で過ごし、講演会など社外での活動も精力的にこなす諏訪さんだが、息抜きの時間も大切にしている。

「趣味はクラシックバレエ。社長就任から半年くらいしてから、ストレス発散のために始めて、今では自分でも驚くほど踊れるようになりました。バレエの世界では、私はただの生徒。社長という肩書を忘れることができる貴重な時間です。先生から怒られたり褒められたりするのは楽しいですよ」

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肩書を忘れる時間を大切している
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現在はバレエの発表会の準備で忙しいという諏訪さん。家でも時間があれば練習をしていると話す。

「自分に負けたくないから、“どっちが本業?”と思われるくらいストイックにバレエの練習もしています。本番前はリハーサルで家を空ける時間が多くなるので、毎年、息子におうかがいをたてるんですよ。『今年も発表会に出ていいでしょうか』って(笑い)。私の性格をよく理解している息子は、『どうせやらなかったら後悔するんだから、やればいいよ』と賛成してくれます。

舞台衣装も自分で作ったことがあるんですよ。高校生の頃はデザイナーになりたくて、大学の服飾科を受けたこともあったんです。独学ですが、自分でデザインした服を着て、バレエの初舞台を踏んだときは、感慨深いものがありました」

地道な努力は必ず結果につながる

雇用の多様化とライフスタイルが変化する現代では、子育てや育児を終えてセカンドキャリアを歩む女性も多い。主婦から社長に転身した諏訪さんは、女性のセカンドキャリアについてどう考えているのか。

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地道な努力は必ず結果に
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「社長を辞めたたら、老後は経営者向けの相談所でも始めようかと思っているんですよ。実は一時期、ひどい更年期に悩まされていたのですが、ここ数年でモチベーションも体力も戻ってきました。2年前に上級カウンセラーの資格をとりましたし、新たに何かを学びたいと思っています。

学生時代って、学ぶことに対する苦手意識がありました。でもこの年齢になって、これまで身につけた知識やスキルは、誰にも奪われない自分だけの財産になっていると実感しています。人間、いつからでも新しいことを始められる。第2の人生に向けて何かを始めるのに遅すぎることはありません。地道な努力は必ず結果につながると信じています」

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