菊地凛子が放ち、身にまとうリアリティ
すでに述べているように、菊地さんの俳優としての活動の場は“世界”です。
スペイン映画『ナイト・トーキョー・デイ』(2009年)では夜になると殺し屋として暗躍する女性を、ギレルモ・デル・トロ監督によるヒット作『パシフィック・リム』では怪獣と対峙する女性を演じていました。いずれも非常に個性的な役どころだといえるでしょう。
しかし今作『658km、陽子の旅』で演じているのは、この社会に確実に存在しているであろう42歳の女性。華々しさとは程遠いその演技は、非常にリアリスティックです。
繊細でいまにも壊れそう
どのようにリアリスティックかというと、口にする言葉はボソボソとか細く聞き取りづらく、表情はつねに精彩を欠いています。繊細でいまにも壊れそうで、存在そのものがふっと消えてしまいそう。
この世界に、目の前に横たわる現実に、いまにも押し潰されてしまいそうな陽子像を、菊地さんは声や表情の微細な震えで表現してみせています。
第25回上海国際映画祭にて最優秀女優賞を獲得しましたが、これには大いに納得です。故郷へと向かう旅をしていくうち、陽子には少しずつ変化が見られるようになる。彼女の生命を運ぶ人々との交流や、しだいに縮まっていく亡き父との距離によってです。
私たちはこの変化の過程を体現する菊地さんの演技によって、陽子の心に触れることができるのです。
陽子と旅をともにして思うこと
本作は陽子の旅の様子をじっくりと捉えているため、観客である私たちも彼女と旅をしている感覚になります。先述しているように、菊地さんの演技によって陽子の心に触れられるのがその理由の1つでしょう。
家族との関係は人それぞれ違います。自分を中心だと捉えたときに形成される人間関係も、それぞれ違うでしょう。
陽子は世界に対して自分自身を閉じてしまっている女性です。が、旅の道中で自ら開くようになっていきます。この態度の違いによって見える世界の景色は圧倒的に異なるはず。旅をともに終えて、そんなことを思いました。
◆文筆家・折田侑駿
1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。https://twitter.com/yshun
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