滋賀県を舞台にした青春小説『成瀬は天下を取りにいく』がデビュー作にして本屋大賞、坪田譲治文学賞、R-18文学賞大賞など16冠を記録、日本中に“成瀬ブーム”を引き起こした作家の宮島未奈さん。続く待望の新作『婚活マエストロ』は、婚活をテーマにした自身初の恋愛小説であり、「別冊文藝春秋」に連載された初の長編小説でもある。いま最も注目を集める宮島さんに“初めて尽くし”の舞台裏を聞いた。
私生活では小学生の子供を持つ母親
「婚活を題材にしたのは、編集者から『宮島さんの書いた婚活パーティーの司会者の話が読みたいです』というリクエストがあったから。私は婚活の経験が全くなかったので、最初は『そういう世界があるのか〜』って話を聞くだけにしておくつもりが、気づいたら『とりあえず書いてみます』と言っちゃって(笑い)。しかも、未経験の長編小説。『妖怪ウォッチ』のコマさんのごとく“都会はもんげー怖いズラ”と恐れおののきつつ、何が何だかわからないうちに連載が始まっていました(笑い)」(宮島さん、以下同)
東京から滋賀県の大津市までやって来た編集者に“書かされた”結果、生まれた1作だと笑いながら話す宮島さんだが、私生活では小学生の子供を持つ母であり、「成瀬ムーブメント」で取材やイベント出演の依頼が殺到する多忙な日々の中、毎月の締め切りに対峙するのは並大抵のことではない。
「家に人がいるとどうしても書けないから、平日子供が学校に行っている間に執筆するようにしていたけれど、進まない時は全く進まなくて……。小説の内容が楽しいものだから、よく“楽しくスラスラ書いているんじゃないの?”と思われることが多いのですが、大きな間違い(笑い)。実際、『婚活マエストロ』の第一話も着手できたのが締切の二週間前で、なんとか間に合わせようと手探りで書いた、というのが正直なところです」
“手探り”なのは登場人物も同様で、主人公のケンちゃんこと猪名川健人は在宅ライターとして生計を立てる40才の独身男性。ひょんなことから、全く縁がなかった婚活イベントを手伝うことになる。
不惑にして新たな一歩を踏み出すことになったケンちゃんを始めとして、ネットミームに詳しく、婚活にも乗り気なオーバー80のマンションの大家・田中宏や零細婚活会社「ドリーム・ハピネス・プラニング」で“伝説の司会者”として婚活パーティーを仕切る美女・鏡原奈緒子や個性的なファッションと言動で「婚活バスツアー」に参加するMOMOなど、“成瀬シリーズ”に負けず劣らず魅力的なキャラクターが次々に登場する。
「キャラクターを作るうえで取材は一切していないし、モデルも特にいないんですよ。書きながら自然と“こんな人が出てきたら面白いな”っていうのが浮かんでくるので、書きながら考えながら書いていく感じです。
ただ、声はよく聞こえてくるんですよね。“成瀬”のときもそうだったんですけど、鏡原さんやMOMOの声が聞こえたので、聞こえたものを書いたという感じ。ああいう喋り方が聞こえたからああいう喋り方になりました。キャラクターが動き出すっていうのはそういう感覚かもしれない。
ただ唯一、ケンちゃんに関してはわりと自分に近いかもしれない。私も作家デビューする前は在宅ライターをしていて、頑張れば月に20万円を稼げることもあったから、性別は違うけれど生活感は似ています。40才になったばかりで、新しい世界に一歩足を踏み出すというところも、同じですね」
固有名詞を使うのはその言葉でしか伝えられない気持ちや状況があるから
魅力的なキャラクターとともに、疾走感ある読み心地を支えているのが、小説中にちりばめられた固有名詞だ。“成瀬シリーズ”では「西川貴教」や「ミルクボーイ」が登場し話題を集めたが、今作では婚活会社「ドリーム・ハピネス・プランニング」の昔ながらのホームページが「阿部寛のアレ」と説明されたり、「婚活時のデートでアリか?ナシか?」としばしば論争が起こるファミレスの「サイゼリヤ」が物語のキーポイントとして登場する。
「固有名詞を使うのは、その言葉でしか伝えられない気持ちや状況があると思っているから。だから、結構平気で固有名詞を出しちゃいます。阿部寛さんのホームページを知らない人ももちろんいるだろうけど、あれを見たときの感情はほかの言葉には置き換えられない(笑い)。
また、そもそもですけど婚活って何かと世間的にいじられたり“(笑い)”みたいに嘲笑の対象になったりしているのがよくないと思うんですよね。それを自虐的に語るのもよろしくないと思っていて。婚活をバカにせず、過剰に持ち上げるのでもなく、淡々とフラットに書きました。
ただサイゼリヤについては、サイゼリヤを否定する人たちへのアンチテーゼ的なものが私の中にあるから、無意識だけどカウンターカルチャー的に書いた部分はあるかもしれない。嘲笑して書く人がいてもいいけど私は書かない。そういう決意みたいなところもあるし、嘲笑しない世界があってもいいよねっていう“可能性”を示したいんです」